カーシュ様の遠征にご一緒することになった。
 遠征とはいっても海すら渡らないのだから怪しいところではあるが。南へ向かって溺れ谷を越えて、そこから南東にあるヒドラ沼に調査に行くという。
 なぜそんな騎士団の末端が任されるような件を四天王であるカーシュ様が任されるのかというと、沼に住む民を警戒させないためには大人数の派遣をするわけにはいかず、少数精鋭で挑む必要があったからだ。それでひとりでも騎士団員100人分の戦力には軽く達するカーシュ様が直々に出向くわけである。
 が、少数精鋭の前にそもそもひとりではリスクが高すぎる。それでよりによって、この私を指名された、と。


 どう考えても無謀である。
 所属する部隊がまるで違う(私は末端の人間であるから、繋がりを辿っても辛うじてゾア様の管轄下にいる程度だ)、一度も任務を共にしたことのない、そして何よりも実践経験の薄いこの私をただ一人の道連れに指名されるなどと。
 当然、カーシュ様の直属の部下、シュガール様とソルトン様からは大きな不平の声が上がった。正当なものである。私も至ってその苦情には同感である。
 しかしカーシュ様の一声、「おまえらには別に任せたい任務があるんだよ」で、2人はいとも簡単に引き下がった。さすがは忠実な部下である。

 実際、シュガール様とソルトン様も、騎士団内では「落ちこぼれ」と囁かれてしまっていても、実際のところは私なぞよりもよほど位の高い(俗に「アカシアチーフ」と呼ばれる)立場の方であった。その下には何人かの部下を率いている。

 だからこそ、の仕事がたくさんあるのだろう。

 それに比較して、比較しなくとも、私には目立った仕事がない。普段はただ蛇骨館の外や中の警備をして、時々街に見回りに行って、せいぜいその程度だ。もちろん、それも重要な仕事である。しかし、私にできることは、他の誰にでもできる、その程度のことだ。
 それが、カーシュ様の遠征の補佐をするなど――誰にでもできるわけではないことを、するなどと。


「実践を学ぶチャンスだからな。」
「…私には荷が重過ぎます。」
「ばっか、そーいうことばっか言ってるからいつまで経っても出世できねーんだよ。男ならもっと自信持っていけ!」
「できないものは無理、と理解するのも必要かと。」
「あーもうゴチャゴチャうっせえ!」
 前を歩くカーシュ様と、カーシュ様の後ろを歩く私とで、歩みは止めずに会話する。自然の生き物が住む、ヒドラ沼。中には人間への反感を持つ者もいるとか。警戒せねばならない。
 いざとなったら、カーシュ様の盾になってでもお守りせねば。
 私の心はその義務感でいっぱいだった。




 結果、負傷した。肩を大きく抉られた。胸に大きな衝撃を受けた。分厚い鎧がボロボロだ。
 しかしそれよりも重要なのは、カーシュ様の様子だ。私は滴る血液にも構わずカーシュ様の下へと走り寄り、お顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか!?」
「ああ……大丈夫だ。それよりお前!オレを庇って――」
「私は無事であります。この程度…」
 無理して作った笑顔は、甲冑に隠されてカーシュ様には届かないだろう。それでも私は笑って見せた。今は、私のことよりもカーシュ様のほうが重要だ。

「それでは、先へ参りましょ――」
「怪我してるんだろう。治療するぞ。」
 今度は先に歩き出そうとしたところを、腕を掴まれ引き止められる。
「わ、私は大丈夫ですから――」
 言葉で拒絶していると、がちゃがちゃと鎧の止め具を外すときによく鳴るような音がする。私はすぐに実際に止め具をカーシュ様に外されようとしていることに気がついて今度はほぼ反射的に手で撥ね退けていた。

「やっ……」
 ぱちん、と手の甲を打たれたカーシュ様が信じられないようなものを見る目で私を見る。それまで従順だった部下の初めての反抗。
 私の中で罪悪感が生まれると同時に一気に増大する。

「あ、あの…大丈夫、ですから……」
 弱々しく口にする。これこそがカーシュ様が鍛えたがっていた“男の癖に弱い”アカシア騎士団兵だ。

「バッカヤロウ!そんな怪我で大丈夫なわけがあるか!」
「!」
 私はびくりと身を竦めた。こんなふうに真剣に怒鳴られるのは初めてだった。そう、そこには、本当の意味での怒気が含まれていた。
 そしてその口で、信じられないことをはっきりと言葉にしてしまう。ああ、本当にカーシュ様は素晴らしいお方だ。

「だから、脱げ。いいから脱げ。全部脱げ。でないと治療ができねー。」
「そっ、…それは…」
 カーシュ様の真剣な気持ちがわかったから、私はもう自分のわがままからその言い出しを拒むことはできなくなっていた。ただなんとなく恥ずかしさとかが邪魔をして素直に返事をさせてくれない。

 するとカーシュ様は真面目な顔で私を見て、何かを決意したかのように手を伸ばしてくる。先程のように撥ね除けることもできないから私はそれにされるがままに、鎧の止め具が外されるガチャガチャという音を耳に入れていた。
 さすがはその構造を熟知しているカーシュ様だ。いとも簡単に外れる。
 そして胸当てを取った先には、
「ほらやっぱり。傷ついて…んじゃ…――」

 言葉は不自然に消えた。
 カーシュ様はどう見ても男性のそれではない私の上半身を見て、私を見て、無言で、口だけをぱくぱくと閉じたり開いたりしている。

 私も私でいったい何をどのように申し上げたらよいのかが判らず、甲冑の下で頬を赤らめて両手を組む力をさらに強くした。
「………はは…ずいぶん女みてーな身体…」
 とにかく、予想外の事態にカーシュ様はとにかく混乱しておられるらしく、そんなことを口にしながら私の胸のあたりに指で触れていた。
「おっ、…女です!」

 普段から為されていたセクシャルハラスメントまがいの行為でずいぶんと鍛えられていたのか、私はそれなりには冷静にそう言うことができていた。が、それはそれだけに関してのみで、結局、この事態に対してどのように対応すればよいのかわからない。
 胸に触れていた手が情けなく離れる。

「…………。」
「…………。」
 双方無言で、組んだ両手を入れ替えたり握り締めた救急箱を置いたり何なりをしたりして、時が過ぎる。
 その間にも私の心臓は動き続けていたわけだから、私の肩口の傷からは絶え間なく血液が流れていた。どく、どく、どく。量は決して多くはないが心臓の動きに合わせて止まらずに流れる。
「………。」
 どくどく。決して血液が足りなくなっているからだけではなく、私の意識は少しずつ遥か彼方へと泳ぎだしていた。

「…――おいっ!大丈夫かっ」




 そうなのです、私はただ、カーシュ様に見放されたくなかっただけだった。
 私が「非力な男性」だからカーシュ様は目をかけて下さる。ならば、そうでなかったら?
 そう思うと私はとても怖くて、怖くて、仕方がなかったのです。
 私が男性でないとわかったら、カーシュ様は私を見放してしまわれるのではないか。
 そう感じていたから、私はなおさら、カーシュ様に事実を悟られまいとしていたのでした。




 目を覚ますと同時に肩口を痛みが襲う。私は痛みに顔をしかめて身体を丸める。
「つう――っ…」
「わ、わり…痛かったか?」
 けれどもそんなときに降ってきた声。私は90度回転している風景の中、目だけを上げてその主を探した。

「いいえ、平気でございます。ご無礼を致しました。」
 その主の手の中の治療道具を認識し、現状をすばやく察した私は、できる限り落ち着いてそれだけ言って、ひとまず事が容易いよう身体の力を抜いた。
 治療をさせているのだ、カーシュ様に。
「起き上がったほうが易しゅうございますか?何なりとお申し付け下さいませ。」
 もう、気を遣っていた言葉遣いもこれ以上偽る意味はない。私はただ相手に失礼のないよう言った。申し上げた。

「怪我人が何言ってんだよ…いいから寝てろ、楽にしてろ。」
「……承りました。」
 そして、目を閉じる。冷たい腕を温かい手が不器用な動作で撫で、包帯を巻いてゆく。
 出血はもう止まっていた。

「…お前、女だったんだな。」
 カーシュ様が言う。治療の手は止まらない。
「はい、そうでございます。テルミナに居を構える富豪の長女です。」

「どうして騎士団に?」
「騎士になりとうございました。幼心に憧れた、アカシアの龍騎士団の当時の四天王のような騎士に。」
「当時の?……今は、どうだ?おまえの憧れに適ってるか?」
「はい。」
 私は心から答えた。

「今の四天王の方々はとても素晴らしい方々でございます。特に、個人的な思考ではありますが、斧使いのカーシュ様は、とても優しく逞しく、大らかで、部下への面倒見がよろしい素敵なお方です。」
「……そうか。そっか。」
 慣れてはいないのか、包帯を巻く手は不器用などころかどこか危なっかしい。大変恐れ多いことではあるが、私がやったほうがより早いだろう。しかし私はそれが良かった。

「………隠し立てをしており、申し訳ございませんでした。」
「性別をか?」
「はい。知られまいとの意識がありました。口調も偽っておりました。」
「丁寧なのは変わってないけどな。」
 小さく笑う。軽い論調に凄くほっとする。

「悪かったよ。おまえが女だってこと知らないで、色々無理させてきちまった。」
「いえ!カーシュ様はご存知なかったのですから、致し方ないことだったのです。」
「…そう言ってくれるならいいけどな。」
「申し上げますとも、いくらでも。私はそんなことには何ら構わないのです。」

 それどころか、大好きなカーシュ様と共にいられたのだから。私は幸せだった。
 そうだ、今なら断言できる。たとえどんなに恥ずかしい目にあったとしても、私はカーシュ様と共にいられて、幸せだった。恥ずかしい行為だって平気だった。
 カーシュ様がこれまでの振る舞いを気にかけられるというのならば、私はいくらでも、「そんなことは構わない」と申し上げるだろう。


 ――ですから、たったひとつ、小さなお願いをしてもよろしいでしょうか。


 私は言葉を飲み込んだ。
「でも、本当のことを知ろうとしなかったのはオレだ。騎士団にいるのは男ばっかりだ、って固定概念でおまえを見ちまってた。おまえも、だからこそ、女だってこと、隠してたんだろう?」
 騎士団の人間はほぼ、私を男だと思って見ている。いや、「女である可能性にすら気づいていない」と言ったほうが近いだろうか。私はそれで事が何事もなく進んでゆくのなら、と、女であることをひた隠しにして過ごしてきた。騎士団の中で私が女であることを知っているのは、“私”という人間を知っている者のみだ。

「…そうです、ね。そうなりますね。
 でも、それでも、カーシュ様に対して隠していたのには、もうひとつ、理由があるのです。」
「理由?」
「はい。」

 たとえ他の誰に知られようとも、私はカーシュ様にだけは知られてはならないと思っていた。だからカーシュ様が部屋を立ち去った後は念入りに気配を探って戻って来そうかどうかを確かめていたし、カーシュ様の前では動作もなるべく女であるときの癖が出ないようにしていたし、カーシュ様には絶対に女であるような要因は見せないようにしていた。他の誰といるときよりも、私は気を遣っていた。

「…私は、カーシュ様に女であることを知られ、愛想を尽かされてしまうことが恐ろしかったのです。“男の癖に”華奢な身体をしている私だったから、カーシュ様に気にかけて頂けていた。“男の癖に”弱い私だったから、カーシュ様に鍛えて頂けていた。全部、男である私だったから、なのです。
 だから、私が女であることが知られてしまったら。カーシュ様は私のような下級兵になど目もくれなくなるのではないか。見放されてしまうのではないか。そう思っていたから、それが恐ろしくて仕方なかったのです。」
「…………。」
 ここで初めて包帯を巻く手が止まった。未だに巻き終わってはいない。不器用なこの手が私は大好きだ。

「…………。」
 沈黙。

 私は下手に動いて、すぐにまた再開されるかもしれない治療の邪魔をすることもできず、目だけを動かしてカーシュ様のお顔を探した。
 流れるような前髪が顔にかかっていて、この角度からではその表情を読み取ることはできない。
 沈黙が恐ろしい。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。

「…あの、カーシュ様…」
「ばっ、バカヤロウ!」
「!」

「オレがおまえを性別ごときで見放すなんて思うなよ!
 部隊が違っても、性別が違っても、おまえはオレの部下だ。おまえは騎士団内でも出来の悪い奴だ。女だから、とか、そんな言い訳は通用しねぇ。これからもどんどん鍛えてやっから、覚悟しとけよ?」
「…………。」
 カーシュ様の赤色の瞳が私を見て言った。

「……はい。」
 治療が再開される。私はこの不器用な手が大好きだ。








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