「いやーっ、良い汗かいたなぁ!」
「……それはカーシュ様だけですわ。」
 かつん、かつん、かつん。玄関ホールに2つの足音が響く。豪快に笑いながら、カーシュ様が私の隣を歩く。ずいぶんと重そうな斧を軽々と担いで、もう片方の手には私の使用していた比較的軽量な斧を持って。
 頬を流れる汗が空気に冷えて、冷たい。私は甲冑はしていなかった。

「しっかし、おまえ、斧の扱いちっとも上手くならねぇな。」
「人には得手不得手というものがあるのです。」
「でもおまえは下手すぎ。もっと筋肉つけねぇとな。」
 難しい話である。

「斧の使用にはとても頷けませんが――それにしても、筋力がより必要であることには同感です。」
「それにしても、斧なんて誰にでも扱えるだろうに――」
「そんなこと、ございませんわ!」

 私はかっとなって、思わず大声にして口走っていた。カーシュ様が立ち止まって、ぽかんと私を見る。
 慌てて、失礼致しました、と一言置いてから、私は落ち着いて後に続けた。
「誰にでも扱えるだなんて、そんなことはございません。すべての基本である剣ならいざ知らず――斧は、癖のある、扱いの難しい武器のひとつです。それを自らの腕のように自由に駆使なさるカーシュ様が凄いのですわ。」
「そ、そうか…?オレはむしろ剣のほうが難しいと思うが――」
「そんなことはありませんよ、カーシュ。」
 しどろもどろに返すカーシュ様の声に、女性の声が被さった。

「!」
 私は即座に一歩下がり、敬礼をした。こちらに歩み寄ってきた、蛇骨大佐のご令嬢、リデル様は私に会釈をして、親しげな様子でカーシュ様に向き直った。

「リデルお嬢様!だめですよ、このような所に来られては――」
「それはカーシュも同じではありませんか。私にも、騎士団の皆の様子を見守る義務があるのです。」
「…………。」
「あなたが、カーシュの言っていた方ですね。こんにちは、リデルです。」
 カーシュ様から私に注意を向けられたリデル様に、私は無言で頭を下げる。リデル様はアカシア龍騎士団のトップのご令嬢で、私などがお話してよい方々ではない四天王すらひれ伏す、私などにはとうていお目にかかることすらできない人物である。

「そんなに畏まらずともよいのですよ。」
「リデル様、このような者とお話していてはいけません。ああ、どこへ行かれるというのですか?お一人では危のうございます。このカーシュめをお供に――」
「いいえ、カーシュ。今回はひとりで行かせてください。」
 あれこれ話すカーシュ様に、リデル様はきっぱりと言い切った。カーシュ様は黙る。

 リデル様は悲しげに目を伏せてから、言った。
「ごめんなさい。ひとりでゆっくり話がしたいのです。それに、カーシュはもう行ったのでしょう?そちらの方と。」
「……はい。お恥ずかしながら。」
「そう何度も、私のために手をわずらわせることはないのですよ。だいじょうぶ、ただテルミナに行くだけですから。
 ――それでは、行って参ります。」
 カーシュ様はぽつんと立ち尽くして、リデル様の後ろ姿を見送った。




 カーシュ様に連れられて、テルミナの端にある墓地に行ったのは朝方のことだった。

 本来ならば、ちょうどこの日だけは、ダリオ様が亡者の島で殉職されたこの日だけは、騎士団の者には、墓地には近づくな、という命が出ていた。ダリオ様の古き友人、近しい人、弟君のグレン様、幼き頃よりの友人であるカーシュ様、婚姻関係にあったリデル様、そして同期の四天王のゾア様やマルチェラ様にごゆっくり参拝して頂くように、との蛇骨大佐の配慮である。
 ダリオ様は四天王の長である。私にも、個人的な感情として、その命日には墓石の前で祈りを捧げたい、という願望があった。それが今日、叶った。
 その気持ち自体は、他の多くの騎士団員も同じである。しかしその配慮があったため、カーシュ様と共に向かった墓地は静かなものだった。すぐ側を流れる川のせせらぎが耳に心地良かった。
 事前に溺れ谷で摘んできた、生前ダリオ様が好んでおられたという青リンドウの花を添えて、カーシュ様は墓石に語りかける。私はその脇で静かに祈りを捧げた。
 その語りかけが耳に入ってこないよう、目を閉じて、ただ静かに、ダリオ様に祈りを捧げていた。




「カーシュ様、片付けて参ります。お貸し下さいませ。」
 私は事務的にカーシュ様に申し上げた。両手を差し出す。
「…………。」
 カーシュ様は、リデル様が去った方向をただ見つめるばかりである。
 いつまでもその影を追っている様子に私は尚更腹を立てて、声を荒げて言った。

「カーシュ様!」
「お、おお…なんだ?」
「斧を片付けて参ると申し上げたのです。お貸し下さいませ。」
「ああ…」
 心ここにあらずといった様子で、カーシュ様は言われるままに斧を私に渡す。私でも何とか持つことのできる軽量なほうだ。

「ぼうっとしておられないで、ほら。」
 それを担いで、そして未だカーシュ様の肩の上のものを示して言う。
「は…?」
「お貸し下さいませ。私が片付けて参ります。」
「これはオレが片付ける。おまえには重すぎて無理だろう。」
「一度部屋に戻って、それで追いつくことができましょうか。行って下さいませ。」
「!」
「武器を手に墓参りなど無礼でありますし、女性の前で殿方のすることではないでしょう。私が戻しておきますから、カーシュ様は行って下さい。」
「おまえ……」

 カーシュ様は私を見て呟く。
 が、それも一瞬のことで、瞬間後にはきゅっと唇を引き結んで、
「悪い。感謝する!」
 斧をその場に乱暴に残して、ホールを走って外へと出て行った。リデル様の後を追った。

 その場には、大振りの斧と、私だけが残される。
 私にこの斧を受け止めることができるだろうか。




 私はその真実は知らない。すべて、人から伝え聞いた話だ。

 カーシュ様とダリオ様は、幼き頃、共に武器を取り、互いに高めあった親友同士であったという。
 そこに、蛇骨大佐の令嬢リデル様、ダリオ様の弟君のグレン様が加わって、4人は素晴らしい子供時代を送っておられたとか。
 四天王となったダリオ様はリデル様と婚約され、そして結婚式を間近に控えた亡者の島への遠征の際に、名誉の戦死を遂げられた。その遠征にはカーシュ様も同行されていた。
 カーシュ様は多くを語ろうとはしなかった。

 私が龍騎士となり、騎士団に入団したのは、ほんの数ヶ月前のことだ。




 半ば引きずるようにして持って来た斧を、カーシュ様の個室へと入れる。身長に壁へと立てかける。
 そうしてから部屋に戻り、甲冑を身につけて、しばしの待機時間を過ごす。
 カーシュ様は今頃は懐かしい時を過ごされているだろうか。頭の隅で考える。
 数少ない私物をまとめて、ベッドに横になって、目を閉じていたとき。

「おい、!」
「!」
 乱暴な声が部屋に飛び込んで来た。言うまでもない、カーシュ様のものだ。
 部屋に居た私以外の下級兵も、意外な様子で私に目を向ける。カーシュ様はそんなことには構わずにずんずんと部屋の奥へと足を踏み入れて来て、呆然とただそれを見守る私の腕を引いた。いや、持ち上げた。容赦ないそれに、私はうっと顔をしかめる。痛い。

「な、何でございましょう?」
「来いよ。ちょっと付き合え。甲冑はいらねぇ。」
 返事をする間もなく頬に手が伸びてきて、いとも簡単に止め具を外して甲冑を取る。
 カーシュ様の表情は、怒りに、――悲しみに満ちていた。
「おっ、お待ち下さい!私には、この後、警備の仕事が――っ」
「…チッ。」
 あっけなく腕を放される。私は力なくベッドの上に崩れ落ちた。
「――それじゃあ、夜になったらオレの部屋に来い。」
 それだけ言い残して、カーシュ様は部屋を出て行かれてしまった。

 私は呆然とその姿を見送る。過ぎ去った嵐に、周囲の者が緊張を解く。そのうちの幾人かは、私に対する心配の声を投げかけてきていた。

 私はかあっと顔を紅潮させた。恥ずかしい。ただ、自分が恥ずかしい。
 私は、自分のことしか考えていなかった自分が恥ずかしかった。ただ、ほんのちょっとした嫉妬心から、カーシュ様のお心を傷つけてしまった。

 カーシュ様の御身にいったい何があったのかは、きっと、永遠に、私にはわからないだろう。
 ただ、自分が恥ずかしかった。そんな醜い女にだけはなりたくなかった。








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