カーシュ様と道を共にすることとなった。ゾア様はツクヨミと共にこの街に残って、情報収集を行うとのことらしい。

 いつか、いつか、私もカーシュ様と戦場を同じくすることができるかもしれない。
 そんな「いつか」が、もう二度とやってこないはずだった「いつか」が、今、きた。




 テルミナから蛇骨館に向かう途中、白い石畳の上で、“ヤマネコ様”を見つけて駆け寄ってきた、パレポリ軍人、こちらの世界のイシトとの会話も、私の耳には入ってこない。捕虜?連行?…勝手にほざくがいい、パレポリの犬め。
 だからそんな中で、私が真っ先にその存在に気づくことができたのは、もしかしたら何かの因縁があったからなのかもしれない。“私”だから気づいた、というべきか。


「ヤマネコ殿、申し訳ありませんが急用で館に戻らねばなりません。ヤマネコ殿も後から館の方へいらして下さい。話はそこでゆっくり聞かせてもらいます。」
 そうして“ヤマネコ様”に背を向けたイシトの向こうに、とある存在が見えた。

 テルミナの入り口に続く真白の階段。その脇に位置する、私が知らない店。その建物の陰に、そいつは居た。
 キラリ、と日光を反射して刃が光る。見慣れていた白銀の甲冑が光る。その奥の見えるはずのない目が、ぎらりと光る。

「――カーシュ様を放せぇッ!!」
 イシトを押しのけて飛び込んできた影に、私は剣を抜くことで対応した。重い金属音を響かせて、刃と刃を打ち合わせる。拮抗する。
 そいつはアカシアの龍騎士だった。きっと、こちらの世界の、だろう。

「待って!話を聞いて――」
 敵ではない。そうは思うも、話にならない。
「黙れッ!この人でなし!」
「!」
 そのとき剣が弾かれた。予想だにしなかった方向から力を込められて、そして奇怪な返し方をされて、対応できなかった。

「ヤマネコ、覚悟っ!」
 即座に持ち替えられた剣は、真っ先にネコ科の亜人に向けられる。剣先が寸分違わずその心臓に向けられて突き出されたその瞬間、私にはやっと剣を持ち直すだけの時間しかなかったそれだけの瞬間に、

「待て!」
「!」

 カーシュ様の声と、パレポリ兵の集合が重なった。イシトが命じたのであろう。
「くそっ、離せ、離せッ!」
 2人の軍人からしっかりと両肩を押さえられ、為す術なく剣を落とした龍騎士は、汚らわしいものから逃れようと必死にもがいていた。びくともしない。

「騎士団の者か……。ヤマネコ殿、大丈夫ですか?」
 イシトは部下に素早く指示を飛ばしながら、セルジュの顔を覗き込む。あまり話して「ボロ」を出すことは避けたいのか、セルジュは黙って頷いた。

「この者は我々が連行致します。まさかまだ、潜伏していたとは……お騒がせしましたね。」
 そして束縛された龍騎士が、ぞんざいに、半ば引きずられるようにして連れて行かれる。騎士団四天王ならばまだしも、所詮はただの下級兵だ。丁重に扱う必要はないということか。それは“彼女”が大人しくしていないということも理由ではあるのだが。

「カーシュ様ッ!必ずや、リデルお嬢様はお救い致します!」
 必死に暴れる龍騎士が口を開いて、発言を抑制されるまでの短い間にそれだけ行った。その後に続こうとした「我ら龍騎士は」は最後まで言い切られることはなかった。

「バッカヤロウ!リデルお嬢様を助けるのはこのオレだ!おまえはたまには牢屋で大人しくしてろ!」
 驚いたのはこの発言に、だ。何とカーシュ様は一介の龍騎士の戯言に付き合ったばかりか、まるでふざけているかのように返して、そうして、あろうことか、一介の龍騎士に向けて笑顔を届けたのだ。あの太陽が笑うかのような、明るい、頼もしい笑みを。

 あまりにも捕虜同士で会話を続けているものだから、粛清とばかりに立場の低い彼女は殴られていたが。それでも2人ともどこか満足そうで、そして龍騎士は連行されていった。


「…ありがとう、。」
「いいえ、構わないの、それは。セルジュが無事でよかった。」
 私は無意識のうちにか、自分の腕を抱いて、掴みかけてしまった真実を手放さないように、知ってしまった事実に押し潰されないように、自分の肩を抱きしめていた。ゆっくりと首を横に振って、セルジュに応えた。

「………カーシュ、今のは?」
「ああ、オレの部下のひとりだ。こーんなちっこいのに、オレによく懐いててな。しょっちゅう負かしてやってる。」

 私ははっとしてカーシュ様に顔を向けた。“私”は“カーシュ様”を見た。

「…ああ、そうだ、そういえばゆっくり話せてなかったな、おまえとは。さっきは『誰?』なんて言っちまって悪かった。いや、まさか龍騎士に女がいるとは思わなかったからな。その格好、鎧も甲冑も身につけてはいないが、アカシアの龍騎士だろう?
 なるほどな、“あっちの世界”とやらのオレ様は、こんなべっぴんさんに慕われてるとは!さっすがカーシュ様だぜ!」
 ばしんばしんばしんばしん、と、言葉と共に何度も肩を叩かれる。肩を。腰じゃない。肩。鎧はもう身につけていないから、そこに触れても肌の感覚は伝わるのだけれど。

「せっかくだから道中、あっち側でのオレらの話でも聞かせてもらおうか!いやー、あんたみたいな下級兵でも、あんだけの実力を持ってるんだ、さぞかつやく」
 するとカーシュ様は突然表情を固まらせた。それは決して良い意味のことではない。やってしまった、との言葉がすぐにでも出てきてしまいそうな。
 それは私が顔を紅潮させてしまったからか。

「……あ、あれ、。どうした?け、ケガでもしてたか?痛かったのか?」
「いいえ、違うのです、それは。カーシュ様がお気になさることではございませんわ。」
 “カーシュ様”は何もご存知ないのだから。私の大好きなはずのその人の呼ぶ名前は、あくまでも「」なのだから。


 カーシュ様はカーシュ様だ。世界が違っても、“私”は私で、“カーシュ様”はカーシュ様だ。
 けれども、だからこそ、“カーシュ様”は全てをご存知で、そして何もご存知ない。
 “カーシュ様”は、“私”のことは何一つ、ご存知ないのだ。私のことはよくご存知でも。
 “私”はカーシュ様のことはよく存じ上げていても、“カーシュ様”のことは何一つ存じていないのだ。




 “私”と“カーシュ様”の間には、何一つ、共通の思い出など、存在してはいないのだ。








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