私はカーシュ様に教えて差し上げることができなかった。

 あの、残酷な真実を。

 それはカーシュ様のお心を傷つけるのがとても忍びないということもあったし、それよりも前に、私にはもう、事実だけでたくさんであったということがあった。
 情けないことではあるのだが、それだけで十分に傷つけられたから、私はこれ以上、自分から何かをするということができなかった。

「……ねえ、。何も言わなくて、いいの?」
 控えめに訪ねてくるセルジュはきっと、気付いているのだろう。私の知った真実に。
 私は首を振る。

「必要はないわ。…きっと、カーシュ様を混乱させてしまうから。そんなことはしたくない。」
「でも…」
 セルジュは優しい。私は何度、この決して長くはない道中だけで彼に心を救われてきたことか。
 少しだけでも彼の心配を和らげてあげようと思って、私は小さく笑った。








「魔剣…グランドリオン……」
 剣の道を進む者ならば、誰しもが憧れ、手にしたいと願う伝説の剣。禍々しい光の中にどこまでの力があるというのか、自身の力はそれに打ち勝つことができるのか。ひとりの武人として、ふつふつと血がたぎる。
 今、確かに、私はそれを目にしていた。
「駄目じゃ、正気のまま、この先へ進むことはできん。」
 無意識のうちに握り締めていた拳に、汗がにじむ。空気を求めていつの間にか半開きになっていた口から、かすかな声が漏れる。濃い紫色の光を受けて、瞳が爛々と輝く。
 私は一歩踏み出した。片手を魔剣に伸ばす。求める。
 低い音が鼓膜を震わせる。これは、いったい何の音?――魔剣が、人を、人の血を、求める声?
!」
 声をかけられた、と思ったときにはもう既に腕を引かれていた。半ば引きずられるかのように私は洞窟の入り口へと戻される。
 ひやりと冷たい空気が頬を撫でて、海水が石の壁を叩く音を聞いて、やっと、正気を取り戻した。
「…ラディウス様……」
 私は私の腕を引くラディウス様を見上げた。あの伝説の龍騎士、ダリオ様が聖剣イルランザーを継承をなさったときに引退され、現在は南東のアルニ村の長をやっておられたという。今、セルジュ達の旅に同行しておられる、ラディウス様を。
 ラディウス様は神妙な顔つきのまま、私の手を離された。
「……剣の“気”に、当てられていたようじゃ。おぬしは剣を使う。無理もない。」
「もうしわけ、ございません…」
 喉が乾燥して、痛い。話そうと口を開いても、ひゅうひゅうと冷たい空気が壁をこするだけである。
 私は今、何をしようとしていた?魔剣に心をとらわれ、無意識のうちに、心か蝕まれることにも気付かずに、ただ、禍々しい光を求めて――。
「……まだまだ、未熟なようです。」
 この3年。
 カーシュ様含む騎士団の面々が失踪してから、私はずっと剣の腕を磨いてきた。いずれ帰っていらしたときに、胸を張って出迎えることができるように。
 ずっと使ってきた「烈風斬」をさらに高めるのはもちろんのこと、こっそり、独学で、ご本人方がいないのをチャンスとばかりに、「奥義アカシア剣」や「アカシアブレス」果ては「ドラゴンライド」まで、自分の技にしようと学んできた。乗龍に向いていない自分には「ドラゴンライド」はとても難しかったが、他2つの技は実践でも使えるくらいには身についた。こっそり、龍小屋の龍とも仲良くなった。今はもう、かの龍達はどこにいるかは判らないけれど。
 私は確実に、3年前よりは強くなっているつもりだ。それなのに。
「…………。」
「…気にすることはない。熟練の騎士でも、あの誘惑に打ち勝つことは難しい…」
「…ラディウス様……?」
 その発言の奥深くに見え隠れする意図の存在に触れ、私はかすかに首を傾けて語尾を上げた。けれどもラディウス様はただ首を振って、
「わしは今はもう、アカシアの龍騎士ではない。ぬしに“様”などと敬称をつけて呼ばれる理由はないよ。」
 そんなことを言うだけである。以前も言われてしまったことに私は観念して、やはり何よりもご本人の意思を尊重して差し上げたいと思ったから、「…ありがとうございます、ラディウス殿。」とだけ、言った。
「大丈夫、?」
 セルジュが心配そうな顔で覗き込んでくる。私は小さく笑って、大丈夫よ、と言ってみせる。そして付け足すのは忘れない。ありがとう、セルジュ。
 そしてラディウス様はこれからのことについてお話を始める。魔剣を打ち破るための唯一の剣、龍の民が鍛えたといわれる、聖剣イルランザー。
「イルランザー……」
 剣を志す者として、単なる先へ進む手段として聞き流すことはできない名前に私は眉をひそめる。
 イルランザーは代々、アカシア龍騎士団一の剣の使い手に受け継がれてきた。私が存じ上げているその使い手は、ダリオ様の父君のガライ様、そしてダリオ様、そして彼の後見人となられた、今、私の目の前にいらっしゃるラディウス殿の3人だ。そして私の知る限り最後の使い手であるダリオ様が、亡者の島への遠征により亡くなられた後は、聖剣はテルミナ外れにて、2人の勇者の墓標を守っている。
 イルランザーがその3人の使い手の元を移り行き、そして姿を消した時間は、かつてのアカシア龍騎士団の歴史に鑑みると、あまりにも早過ぎた。例を見ない事態に一時期騎士団内で不穏な噂が流れることもあった。イルランザーの所有を巡って、上層部で内乱が起きている、だの。なんとも愚かなものである。
 しかし私は今、私の身分では絶対に知り得ることのなかった真実に触れようとしていた。ラディウス殿は、現在は、聖剣は亡者の島にて眠っているという。
 私ははっとしてラディウス殿を見た。テルミナにあるあの剣は、本物の聖剣ではないと、彼は仰るのか?
 ガライ様の墓標は本当は亡者の島にあって、彼を弔うために、聖剣はそこにあるのだという。
 私はそれを聞いたとき、不覚にも泣きそうになってしまった。
 パレポリがテルミナを制圧した今、私は、奴らに蹂躙され、雨風に晒され汚れていく聖剣を見ていられなかったのだ。
 私達の希望はまだ、費えてはいなかった。








 そう、私の希望はまだ、費えてはいない。
「カーシュ様!」
 私は、どこか落ち着かず、またパーティの空気になじめずにいる(無理もない、セルジュたちとは敵対していた仲だったというのだから)カーシュ様に声を張り上げた。カーシュ様は振り返った。
 その歩みを止めてしまうのもはばかられたので、私は少し足を速めて自分からカーシュ様の隣に並んだ。かつての自分なら、絶対にできなかったであろうことだ。


「絶対に、リデルお嬢様を奪還致しましょう!…そして、我らの町、テルミナも!」

 カーシュ様は目を丸くして私を見た。私はせいいっぱい力強くカーシュ様を見つめた。もう、絶対に気を遣わせてしまうことなんてしない。

 私の視線にカーシュ様は応えて下さって、同じく、いや私よりもよほど力強く、頼もしい笑顔で言うのだった。
「……ああ、そうだな。よろしく頼むぜ、!」








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