「しっかし、まさかこのオレがこんな立場でここに入ることになろうとは…」
「……わたくしも、予想だにしておりませんでした。」
 場を和ませるジョークの中にほんの少しの皮肉を混ぜて発言されるカーシュ様と、それに続いて心の底からの感想を申し上げる私。
 私はずっと、お話している最中には違和感を感じてばかりいたが、しかし些細なことは笑って跳ね飛ばしてしまうカーシュ様のお顔を見ていたら、なんだか平気になってしまった。私はどこまでも単純な女だ。
 今はただ、カーシュ様に気を遣わせてしまいたくない。きっと心身ともに疲れてしまっているだろうカーシュ様に、ほんの少しでも楽になって頂きたい。
 その気持ちは私の力になっていた。
 今はまだ、心にちくちくと突き刺さるこの棘は、抜けないのだけれど。


「……さて、どうしようか…。無事にここに入れたのはいいんだけど、ここからどう行動すればいいのかな。」
「何だよおまえ、何も考えてなかったのかよ。」
「そうだよ、悪い? ボクだってこんな展開になるとは思っていなかったんだから。カーシュこそどうなのさ?」
「男は、肉弾攻撃あるのみだ!」
「それって最初にボクに会ったときに言ったことじゃないか!」
 話す2人。徐々に声は荒くなる。私はどこか不穏な空気を感じたことはもちろん、少年の口調で話すセルジュに危機感を感じて、慌てて止めに入った。
 両者共に体格のよろしい言い争いの間に割って入って、極力ひそめた声で口にする。
「お2人共、おやめください!いつどこで誰が聞いていることか。」
 すると即座に、セルジュもカーシュ様も黙る。それでも両者の瞳はお互いを睨んだまま。

 私ははっとした。
 そういえば、セルジュから聞いた話では、こちらの世界のカーシュ様とセルジュは、敵対する仲だったのだ。
 最後の接触は、炎の龍の住まう場所と言われる、灼熱地獄の死炎山。それも戦いの中であったという。にわかには信じがたいことだが、なんとそのときのセルジュ達の一行は、3人揃った四天王を打ち負かし、先へ進んで行ったという。
 カーシュ様は、…いいや、私の知っているカーシュ様は、自身の腕に誇りを持っているお方だ。それが、いくら元騎士団四天王のラディウス様のご教授を幼い頃より受けてきたとはいえ、全くの民間人である少年に負けるなどと。良い印象を抱けるはずはない。
 無論、元々その争いはヤマネコに仕組まれたものであり、今となっては目的を同じくする仲間同士、ではあった。事実上は。
 しかし、カーシュ様がセルジュに負けてしまった、ということは、覆しようのない事実なのだ。
 人の良いセルジュとて、私に経緯を話してくれたときの様子から、とてもカーシュ様に良い印象を抱いているとは思えない。信じがたい現実を突きつけられたとき、それでも必死にあがいていたとき、ことごとく彼の道を妨害したのはカーシュ様なのだ。

 一触即発、というのは正にこのような状況のことを言うのかもしれない。
 私は不安に駆られながら両者を見比べる。

「行くぞ、。」
「行くよ、。」
 その声は同時だった。そして向かい合っていた2人が踵を返すのを同時。
 つまり、両者はまったく正反対の方向へと歩き始めようとしてしまっていた。ここは蛇骨館玄関ホール。カーシュ様が向かおうとしたのは客間のある棟で、セルジュが向かおうとしたのは四天王の方々の住まう棟だ。

「どこへ行こうって言うんだよ、小僧。そっちはオレ達の部屋のあるほうじゃねえか。」
「…そっちこそ。まさかリデルさんが客間なんかに居ると思ってるの?」
「オレの部屋に居るはずもねえだろうが!」
「カーシュの部屋に、なんて言ってないよ。こっちにはゾアの部屋もあるだろ。」
「お2人共、おやめください!いつどこで誰が聞いていることか。」
 私は泣きたい気持ちで訴えかける。両者に。
 今はただ、お嬢様をお救いせねばならないときなのだ。それなのに、こんなときなのに、2人で争っていては!


 私の違和感も、心にちくちくと突き刺さる棘も、今となってはもうどうでもいいことだ。
 今はただ、ああ、どうか、カーシュ様とセルジュが穏やかな心で戦えることを――。








inserted by FC2 system