「…あんなところをお見せしてしまって、お恥ずかしい……」
私は手で顔を覆って、たまらなくなって、その場に座り込んでしまった。身体はすぐ向こうに広がる海に向ける。カーシュ様には向けない。
「な、なあ、。」
「はい、何でございましょう?」
カーシュ様が私に話しかける。私はカーシュ様に答える。
やはり私は勘の悪い女ではあるが、しかし女としての教養はそれなりには身につけてきたつもりだ。大方、想像はつく。
大丈夫だ、私にはもう、決心はある。だからあんなことも口にできたのだ。
真実を知って、私は希望を失ったけれど、それでも多くのものを手に入れることができた。前に進むことができた。
カーシュ様が私と同じであるとは思わない。それでも、何も知らないでいるよりは。どうせ、いつか知ってしまうことだ。
……。
「……オレは、あんたの上司じゃない。あんたの好きだったカーシュじゃない。」
「…………。」
それは半ば私の予想にはなかった言葉であった。私は静かに、その続きを待つ。
「だから、そんなふうに肩肘張らないでくれ。頼む。」
「…………。」
私は続きを待つのではなく、黙っていた。けれども、顔を覆う手はどかして、海ではないところを見る。
空の青とも、海の青とも、違う蒼と、綺麗な赤。カーシュ様の色だ。
「あんたとあいつが同じ人物だって解っても、やっぱり、オレの部下はあいつなんだ。カーシュ、で、いい。」
それは私にとっては、死刑宣告にも等しい言葉であった。聞いただけで胸が軋み、いや、それだけでない、身が引き裂かれる思いがした。
きっとこれは、カーシュ様の戒めだ。私のしたことへ対しての。
“私”が“カーシュ様”の部下にしたことへ対しての、戒めだ。けれども、もう私の頬に痛みは残らない。
「………解ったわ、カーシュ。」
毅然としてそう呼んで、立ち上がる。
この呼び方は、もしかしたら、かつて私が望んでいたかもしれなかったことの象徴だ。しかし、今、今私が最も望まない形で、私の身に重くのしかかる。
私は涙を流したい気持ちでいっぱいであった。今、ここで、馬鹿のように泣き喚いて、この大きな胸に身体を預けられたら、どんなに心が癒されることであろう。
けれどもそれはできなかった。私にはできなかった。
「それなら、私からも、お願いがひとつ。」
「何だ?言ってくれ。」
「……、と、お呼びになって。今ではもう、その愛称で呼んで下さる方は、両親とセルジュだけになってしまったの。」
せめてもの思いで、それだけ告げる。そしてすぐに目を伏せる。でないと、涙が意思に反して零れてしまいそうだった。
「ああ、解った、。」
「ありがとう。」
少しだけ、ほんの少しだけ元気になって、私は目を上げてカーシュ様を見た。
……。
「好きだったんだな……」
次にカーシュが話したのは、そんなことだった。
唐突な切り出しではある。けれども私は冷静に、声調は乱さず、答えた。
「ええ、好きだった。愛していたわ。」
私は確かにそう言った。
「きっと、あんなに人を愛したのは、初めてだったと思う。あの人のことを考えると胸が締め付けられて、それは面と向かっているときは余計に酷くなるのだけど、でも、その分、私はあの人のおかげで幸せになれたの。とても素晴らしい恋だったわ。」
「……もうひとりのオレが、ねぇ。そんなロクな奴でもないだろーに。」
「そんなことないわ!…カーシュ様は立派なお方だったわ。そして、もちろん、貴方も。」
「…………。」
カーシュが押し黙る。私は少々うろたえて、内心では慌てながら付け加えた。
「…その、ごめんなさいね。貴方に、面と向かってこんなことを言ってしまって。返事に困るでしょうに……」
「いちいち、小さいこと気にすんなって!」
「……ありがとう…。」
カーシュは優しい人だ。勇気があって、強くて、逞しくて、小さなことなら笑い飛ばすことのできる大らかさを持っている。
そして彼の飛び切りの笑顔は、人を安心させる。
その笑顔は、今は少しだけ、曇っていた。私のせいだ。
「カーシュは優しいのね。」
小さく笑いながら言う。
「当たり前だ。何たって、アカシア龍騎士団の四天王、カーシュ様だからな!」
その笑顔はたくさんの無理のこもった笑顔だ。私の心はちくりと痛む。それでもカーシュの気持ちは伝わったし私もそれに応えなければならないと思ったから、私は笑んだまま言葉を続けた。
「ぜひ、こちらの世界の騎士団の話を聞きたいわ。お願いできるかしら。」
「おー、聞かせてやろーじゃねえか。だったら、おまえの世界の話も聞かせてくれるな?」
「ええ、もちろん。話させて下さい。」
「…、カーシュ!話があるから、来てくれないか――」
呼ぶ声に、あ、と目を向ける。セルジュだ。
「…ふふ、行きましょう、カーシュ。お話は、また道中で。」