「おまえ、名前は?」
 質問が一人の下級兵士に突きつけられる。

 現在質問をなされているのは、アカシア龍騎士団四天王が一人、マルチェラ様。まだ少女なれども、その強さは我々にはとても計り知れない程である。
 現在質問をされているのは、上述した通り、一人のアカシア龍騎士団下級兵。つまるところはこの私、
 よって私に拒否権はない。私に許されるのは、ただこの質問に答え、名乗ることのみ。


 しかし私にはそれができないでいた。現在この場、“可能性探し”とやらに出かける直前に集まった蛇骨館ホールに居るのは、元々館内を巡回している幾人かの龍騎士達、そして私の目の前のカーシュ様、ゾア様、マルチェラ様。
「仮にもこれから行動を一緒にするんだ。それが名前も知らないでどうするの。」
「……そ、その……」
 幼子のあどけなさ故の棘を含んだ瞳が私を睨みつける。私はためらいをぐっと飲み込んで、言った。
「……教えられません……」
「なんで!」
 即座にそんな言葉が返ってくる。私は申し訳なさにずるずると引きずられながらも、最終的には絶対に譲ることはできない意地にぶつかって、けれどもその申し訳なさを形成するのは私にとって重要な要素であるいわゆる「忠誠心」であったから、それに立ち向かうこともできずにしどろもどろと唸った。

「呼ぶのに必要であれば、便宜上の名前を用意致しますが……」
「だめ。必要なのはそういうのじゃない。」
「…………」
「…………マルチェラ。」
「何。」
 ゾア様の声がマルチェラ様を呼ぶ。マルチェラ様は不機嫌そうな様子を隠そうともせずに、首を勢いよく振ってゾア様に顔を向けられた。
 仮面の下から、くぐもった声がする。
「俺の顔を見たいと思うか?」




「………は?」
「まあ、そういうことだ。」
 ゾア様はそれだけ言って会話を打ち切って、カーシュ様とのお話を始めてしまう。その場に残るのはマルチェラ様の行き場のない不満のみ。
 それを作った原因である私は、おろおろとゾア様とマルチェラ様とを見比べた。見えない表情と不満がいっぱいに描かれている表情。
「もう知らない!」
 そしてマルチェラ様がゾア様に背を向けられて、私に向けられていた矛先はひとまず消滅した。私は不謹慎なれどほっと胸を撫で下ろす。
 マルチェラ様は腕を組み、不機嫌そうに片足をかつかつとホールの床に叩きつけ、ゾア様とカーシュ様、2人の四天王のお話が終わるのを待つ。
 私はといえば、それまでと――マルチェラ様が私に矛先を向ける前までと同じように、ただ直立不動で場が動き出すのを待った。








「よーし、まずは近場からだ。現在はきたる蛇骨祭に備えて、あのなんたらいう集団……えーと、なんて言ったっけか。」
「マジカル・ドリーマーズだ。」
 ゾア様のすかさずの突っ込み。全くタイミングを得ている。カーシュ様はひとつ頷いた。
「そう、それの船が港に停泊している。そこに行くぞ。」

 ひとまずはその方向性で決まっているようであった。どうやらその“マジカル・ドリーマーズ”なる、劇団…と、いうのだろうか、私にもよくは判らなかったが、とにかくそのような名前の過激な格好をした集団も、カーシュ様の仰る“可能性探し”に大いに関係しているらしい。
 私にはまったく、わけがわからなかったが、わけがわからなかったので、カーシュ様やゾア様やマルチェラ様についてゆくことしかできないのであった。


 けれども、わけがわからないなりに、気になることもある。私はもとより、カーシュ様もゾア様も、そのような集団に縁のある方ではない。それがどうして“可能性探し”の中に、マジカル・ドリーマーズとの会談が含まれているのかということだ。根本的な疑問だ。
 もしかしたらマルチェラ様には、まだ幼いながらにも女の子らしいご趣味がおありで、容姿端麗な男性の行う歌と演技に興味を持たれたことがあったのかもしれなかったが、
「…………。」
 現在歩くその様子を見る限りでは、そのような可能性を考えるのはどうにも間違いとしか思われなかった。
 興味がない、を通り越して、物凄く行きたくない様子である。その不機嫌な表情は、先程ゾア様に肩透かしを食らったから、と考えるにはあまりに深すぎた。

「なんであたしが、あんなところに…」
 ぶつぶつと、不満までを口にする。私はほとほと困り果てて、ほんの少しでもこの少女の不満を和らげることができたらと思い、彼女にそっと声をかけた。
「マルチェラ様。」
「何。」
「港に行きたくない、何か事情がおありなのですか?」
「おまえには関係ないだろう。」
 一刀両断とは正にこのことだった。私は潜めた声で語りかけていた姿勢のまま固まって、危うく一行に置いてゆかれそうになってしまって、慌てて後を追いかける。
 勇気を振り絞り、再度マルチェラ様の隣に並ぶ。
 マルチェラ様は私をちらりと見て、そして言った。

「呼ぶための名前も教えない人間は、道連れとは思わないね。おまえはただの付き人だ、黙っていなさい。」
 棘を多分にはらんだ言葉が次々に私の胸を突き刺す。さらに結局元々は私に非があったために、余計にその棘は私の胸に深く刺さった。
「…………。」
 これ以上喋ってもマルチェラ様の気を悪くするだけだ。そう思って私は話すことを断念した。黙って、とぼとぼと一行の最後尾を歩く。

 するとここで助け舟を差し向けてくださったのは、カーシュ様だった。いつものあの豪快な笑い声の後に、言葉を続ける。その声が私には、いつもにまして格好良く勇ましく聞こえた。
「なーに、そんなに気にするこたねえよ。マルチェラはな、しばらく前に…えーと、なんて言ったっけか。」
「マジカル・ドリーマーズだ。」
「そうそれ、それの中のひとりに手紙もらったことがあってな。その内容があまりに気味悪かったもんだから、腹立ってんだよ。」
「余計なことを言わないで、カーシュ!」
 マルチェラ様が激昂する。しかしそれには構わずにカーシュ様は続けた。

「詳しい内容までは聞いてねーけど……最後に、兄より、だとか何とか書いてあったらしいんだよ。」
「………!」
 私の斜め前くらいで、マルチェラ様が怒りに言葉を失う。最後に何とかして「カーシュ!」とカーシュ様を戒めるようにその名前を口にしたが、時既に遅し。
 そういえばマルチェラ様の出生も何もかも存じてはいない(ただ、異例の若さで騎士団に入団しその腕を振るっておられることから、きっと高貴で優秀な血筋の方なのだろうとだけ思っていた)私だから、それを聞いても、へえ、肉親の方からの手紙が…としか思わなかったのだが、どうやら3人の様子を伺う限りでは、そこまで簡単に済む話でもないらしい。

「へえ、それで……」
 ひとまずカーシュ様の説明に納得したように頷きながらも、実は理解は伴わない。どうやら複雑な事情のあるらしい肉親からの手紙を得ていたとして、それをなぜわざわざ、このタイミングで、直接会いに行く必要性があるのだろうか。
 それがいったいどうして、この“可能性探し”に、関わってくるというのだろうか。
 こうして私はカーシュ様達の旅に同行してはいるものの、その目的はやはりさっぱり分からないままであった。

 ただ何となく、出発前にカーシュ様とお話したことには何か関連があるのだろうか……と、その点にしか考える余地が見当たらない。ただ、おぼろげに、何となく、の段階で、私は密かに思考を滑らせてみるのみである。
 結局のところカーシュ様達が何を為そうとしているのか、私にはいまいちよく分からなかった。








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