「ほんっとに、ばかみたい……得体の知れない海賊のところに行くなんて。話が通じるわけない、このはでな船もろとも海のもくずにされておしまいね。」
 船の欄干に身体をもたれかけさせて、そうぼやくのはマルチェラ様。周囲には他に人もおらず、彼女の傍に居たのが私だけであったため、私はびくりとして、返事をするかしまいかの選択の前に突然に立たされた。

 沈黙の中しばし迷って、私は選択肢をひとつ選んで決行する。
「…心配される気持ちは分かります。ですが、現在この船には栄光のアカシア龍騎士団四天王が3人も乗っている。さらに、劇団の方々も非常にたくましく、戦闘経験も積んでおられるのだとか。これほど頼もしい船はそうそうありませんよ。きっと大丈夫、海賊船など先に撃沈してしまいましょう。」
「…………。」
 マルチェラ様はちらりと私に目を向けた。不満、というよりは、不審のこもった目。

 その詳細をここで説明することはしないが、私達は今、マジカル・ドリーマーズの船に同乗している。目的はエルニド海に出現するという海賊団の船長、ファルガに会うことだ。
 ああ、それにしても、この解説ではあまりに簡潔に過ぎる。しかし、私には今この状況を、これ以上どのように整理したらよいのか……分からなかった。
 ただとにかく今は、マルチェラ様の出生の秘密、血縁関係を巡って船旅をしている最中だった。

 マジカル・ドリーマーズの船を訪問し、例のマルチェラ様の「兄」と名乗る青年――スラッシュ殿に会った。ずっと不服そうであったマルチェラ様はここにきてそれも頂点に達してしまったようで、スラッシュ殿を避けるようにどこかへ飛び出してしまった。それを探してようやく、少々独特の形状をしたこの船の、申し訳程度に存在する外気に露出した部分、誰も人が通らないような区画に私は彼女を見つけた。
 すぐに無理に引き戻すこともできず彼女の隣に立った私に向けてか向けないでか、ともかくもマルチェラ様が発した呟き。今度は、結果としてそれに応えた私に対して、マルチェラ様の、そう呼ぶにはいささか鋭すぎる棘を含んだ質問が浴びせられた。

「おまえは戦力になるの。」
「えっ……」
 私はつい、しばし考え込んでしまう。自分のことだというのに。
「そうですね、私は」
 そして改めてマルチェラ様に答えようと口を開いたとき、
「おまえがカーシュと試合をしているのを何度か見たことがある。」
 マルチェラ様は話し始めた。私はぐっと口をつぐむ。
「おまえがカーシュの私室の扉を叩くのも、カーシュと親しげに話しながらどこかへ行くのも。
 おまえは、いったい何者?」
 確かな鋭さをもった少女の純粋な青い瞳が、私を睨みつけていた。

「………私は…」
 先程の質問への答えの続きが、私の喉に引っかかる。出て来ない。その間にもマルチェラ様の言及は続いた。
「……あたしはカーシュに用事があったんだ。それなのにあいつ、なんて言ったと思う?
 『今日は例のあいつとの先約があるから』だって。信じられない!騎士団四天王が、たったひとりの単なる下級兵士との約束を優先させるだなんて!」
「そ、それは、カーシュ様は義理深いお方であるから、単に先にしていたわたくしとの約束を重んじてくださったというだけで――」
「うるさい!女みたいな話し方をするな。」
 私ははっとして口元を手で覆った。押し黙る。尚も、マルチェラ様が言葉の刃物で切りつけてくる。

「――別に、あたしはあいつの保護者じゃない。だから、あいつの趣味にまでは口出ししないでおこうと思った。男のあいつに男を囲う趣味があったって構わない。」
「…………え?」
「だけどね、おまえがここまであたしに関係してくるなら話は別だよ。おまえ、カーシュから手を引きな。時が経てば経つ程、あいつもおまえもその状況から抜け出せなくなる。お互い傷つく前に、さっさと――」
「違う、違うんです!」

 今度は私がマルチェラ様の言葉を遮る番だった。私はやっとの思いでマルチェラ様の言葉を遮り、そのことに対する怒りを湛えて鋭さを増した青い瞳から目をそらすようにして話し始めた。

「違います。私とカーシュ様とは、決して、そのような関係などでは――」
 けれどもそれは、あっさりと負けて遮られてしまう。
「じゃあいったいなんだっていうの。」
「…そ、それは……」
「その兜が邪魔だ。」
 きらり、とマルチェラ様の指先で光の筋が煌いた。マルチェラ様の得意とする、鉄線を用いた残酷な切断攻撃――瞬時にそれを思い描いた私は、即座に逃げ出そうと足を引いて、
 しかしそう思ったときにはもう、あっけなく鉄の兜はばらばらに切断され、支えを失って落下した。
 それが、栄光のアカシア龍騎士団四天王の実力。幼いながらにそこへ登り詰めた少女の実力は伊達ではない。

 そして私の素顔と目を合わせたマルチェラ様の表情が驚き一色に染まった。それもそのはず、兜の下から現れた私の素顔は、彼女の予測とは大きくかけ離れていただろうから。
「………おまえっ……」
 私にはどうすることもできずに、ただ、その場に立ち尽くす。
「………女みたいな顔をして………、ちがう、…――女なのか?」
「そうです。」
 私は頷いた。
「…だから、決して、私とカーシュ様の間に、そのような同性間の、マルチェラ様が案ずるような関係はないのです。…も、もちろん異性間の関係もですが」
――……」
 慌てて両手を振って弁解していた私は、マルチェラ様のその言葉にはたと固まった。
 とたんに私の思考はほんの数拍前の出来事に遡る。思考だけが、過去を追う。


 今、彼女は何と言った?私を何と呼んだ?


「マルチェラ様、今、いったい何と――?」
「……わからない。あたしは今なんて言ったんだ?」
 けれどもマルチェラ様は首を振るだけである。自分のしたことが信じられない、そのような様子で。
 私は尚もマルチェラ様に詰め寄るようにして、重ねて問うたのだった。
「わたくしの名前をお呼びしましたね。、と。」
「!」
 マルチェラ様に掴みかからんばかりに接近し、私は彼女に問うていた。すると私の言葉に驚き目を見開かれたマルチェラ様も、私に掴みかからんばかりに接近し、私に問うていた。

!それがおまえの名前なの?」

「はい。わたくしの名前は。ですが、なぜそれをご存知で――?」
 話しながら私の頭に、ふと、マルチェラ様が騎士団員目録の中でその名を目にしたことがあったのかもしれない、という可能性が過ぎった。けれども、私は単なる下級兵。私と同じ立場の騎士などごまんといる。それを、今の一瞬で、ピンポイントに私の名前を言い当てるなどと――

「あたしはを知っているんだ。思い出したくもない兄のことなんか知らない。あたしの記憶の片隅に、、おまえは確かにいるんだよ!」
「……なぜ…?」
 その言葉はマルチェラ様に向けたものなどではなかった。ただ、疑問が一番単純な言葉となって口を突いて出てきただけ。その言葉にマルチェラ様はかぶりを振られた。
「わからない。あたしはおまえには出会ったことはない。おまえの素顔なんて知らない。だけどあたしは“”を知っている。
 ………はね、おまえと全く同じ顔をしているんだ。おまえと同じ背、同じ髪、同じ顔。そして、おまえの隣に居た男の人――」
 現実味のない様子で語っていたマルチェラ様は、そこで突然頭を抱えて蹲ってしまった。私はそれを追ってしゃがみこむ。苦しそうに呻く彼女を前にほんの少しの間だけうろたえて、すぐにその背中をさすって差し上げる。そしてすぐに彼女の症状は、精神的な理由からくるものだと気がついた。

「…そこまで考えると、あたしは言いようのない不快感に襲われるんだ……。思い出したいのに、思い出せない。彼のことを思い出したら、何か知ってはいけないことまで知ってしまいそうで……」
「マルチェラ様、無理はなさらないでください。お加減悪いようでしたら、船内に戻って――」
「うるさい!今戻ったらあの男が――スラッシュがあたしのことを見つけるだろう。あたしはここでいい。違うんだ。あたしが、思い出したいのは――」

 思い出したいのに、思い出せそうなのに、思い出せない。その感覚は私自身にも心当たりがありすぎたから、マルチェラ様の苦しみがどこまでも理解できてしまいそうな気がして、私も身につまされる思いだった。
 彼女は、尋常ならぬ力をもっているとはいえ、まだ幼い子供だ。おそらく、この記憶と感情の濁流に心がついていけていない。
 私は子供をあやすように、マルチェラ様、マルチェラ様、とその名前をお呼びしながら、一定のリズムで彼女の背中を叩いていた。一向に手中に収まろうとしない、突然存在感を主張し始めたおぼろげな遠い夢の中の記憶から、現実に引き戻すのだ。
 ぽん、ぽん、ぽん、と、叩く。このリズムが今は現実だ。

「マルチェラ様、マルチェラ様――」
「………!」

 そして私は彼女の傍に居るうちに、ついにとある単語を耳にしてしまったのだった。
 それは私には少々なじみの薄いものではあったが、確かに知っているはずの記憶。




「――セル兄ちゃん……」








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