「……ありがとうございます。助かりました。」
「いや、いい。道連れだから遠慮はするな。」
「…………。」

 マルチェラ様を船室のベッドに寝かせて、彼女が落ち着いて目を閉じているのを確かめて、そこでやっと一息つく。
 私は彼女をここまで運んでくれた人――ゾア様を見てお礼を言ったが、短く返されて、どことなく会話をしっかりと打ち切られてしまった。
 すっかり気まずくなってしまって、私は無言でそっと目を背けた。


 私は今、兜を装備していないのだった。


 マルチェラ様に破壊されたときのまま。だから素顔を晒したまま。
 けれどもゾア様はその事実に何ら言及されることなく、いつものあの寡黙なままで、私に接して下さっていた。それはそれでとてもありがたいことだったのだけれど、一方では彼に何と思われてしまっているのかが謎で、気がかりで、不安だった。

 だから私は直接ゾア様にお尋ねしようかとは思ったが、それも怖くてできない。言葉にすることで、何か微妙な均衡のようなものが崩れてしまう気がした。
 それにこれはあくまでも私個人の事情だ。それを、騎士団の他の、関係のない方、それも四天王にお話するなどと。


 他に私に取り得る手段は残念ながら私には見つからなかったので、私は決めた。部屋を出ることに。
 なるべく目立たないように、またマルチェラ様を刺激してしまわないように、そっと音を立てずに踵を返す。そして歩いて扉に寄って、首だけを振り向けてゾア様に挨拶。
「それではゾア様、私は失礼致しますね――」
「いいのか?」
「え?」
 取っ手に手をかけた状態で私は固まった。ゾア様は続ける。
「船内には他の者もいるだろう。今出て行くと素顔を見られることになるぞ。」
「……え、ああ、そうですね…」
 そうは言われたものの、どことなく危機感の湧かないまま私は有耶無耶に頷くだけである。

 マルチェラ様が気分を悪くされて、場に現れたゾア様に助けられて、彼女を船室まで運んで私は今ここに居る。
 幸いにもその道中、他の方に行き会うことはなかった。
 けれども私の兜はないままで、ゾア様には見られてしまって、現状は何も好転していない。強いて言うならば、マルチェラ様を無事落ち着かせることができたくらいで。

 きっといずれは、カーシュ様もスラッシュ殿もマルチェラ様の話を聞いてここを訪れられるだろう。そうなれば私に言い逃れはできない。私はここにずっと滞在しているわけにはいかない。
 でも、ここを出たとして、私はどこに行けばいいのだろうか。ずっと私を守ってくれた兜はもうない。
 何となく、心のどこかで、私は3年程隠してきた私の性別をこのまま隠し続けることを、諦めていたのかもしれなかった。

「…………。」
 私は俯く。
「…見られたくはないのだろう。」
「はい、そうですね…」
 私は頷く。

 私が頷いたとき、私のすぐ傍であの声が聞こえた。私がずっと聞き知った、大好きな方の声。
「マルチェラー、だいじょうぶかー?」
 そして私のすぐ傍で取っ手が外から引き下げられ、木製の扉がぎぎいと音を立てて開いて――


「わっ!?」
 まず最初に、があん、という重い金属製の衝撃。脳天を貫く痛み。
 第二派はわんわんと唸る、音の余波だった。それは狭い空間を満たして私の頭を苛む。
 視界は真っ暗になってしまった。
「う、うーん……」
 私は少しばかりよろけてたたらを踏む。すると背中が何か温かいものに当たって支えられた。

「す、すみませんカーシュ様…」
 現状を把握できないまま、私はカーシュ様からひとまず離れた。頭が重い。再度よろける。

「おいおい、大丈夫かよ。って、ゾア…?」
「マルチェラはそこに寝ている。」
「いや、それはわかるけど……2人して何やってんだよ……つーか、おまえの素顔見たのメチャクチャ久しぶりだなー……」
「そうか。」
「………マルチェラは眠っててよかったな。」
「…そうだな。」

 視界は真っ暗なままで、カーシュ様とゾア様のお話する声だけが聞こえる。その中で私はゾア様の被り物を頭に被って、すなわち素顔を隠した状態で、立っていた。
 そう、私はゾア様に被り物を投げて被せられたのだった。
 そんなふうに乱暴に装備させられたものだから、向きなどめちゃくちゃである(いや、これはむしろ狙って行われたことなのかもしれなかった)。視界を得るための穴がどこにあるかもわからずに、私は近すぎてピントの合わない鋼鉄のプレート以外は何も見ることができずにいた。

「しっかし…具合悪くしたってどういうこった?こいつはそんな繊細なヤツでもねーだろ。」
「何か思い出すところがあったらしい。詳しい話はオレも聞いていない。」
「ふーん……。じゃあまた後で聞いてみるか。ゾア、おまえはどうする?」
「もう少しこの部屋に居る。」
「了解。他の奴らには事態は一応伝えとく。しばらくは放っておくようにも言っておくな。
 …おまえはどうする?」

 間近で聞こえた、聞くだけでそれと分かるくらいに明確に私に向けられたカーシュ様の声。それに加えて被り物を真上から叩かれて、私ははっと我に返る。
 慌てて答えた。

「わたくしも、この場に残ります!…ええと、マルチェラ様の容態も気になりますので…」
「………そうか、珍しいな。わかった。」
「えっ?」
 私は「珍しいな」の言葉に反応し、思わず語尾をあげてしまった。カーシュ様は律儀に答えてくださる。

「いや、おまえだったらてっきり、『カーシュ様についてゆきます!』とか言うかと思ったんだよ。まあ、おまえもそうそう言ってばっかじゃねえってことだな。
 ゾアとゆっくりしてけよ、じゃーな。」

 ばたん、扉が閉まる。
 私は足音が廊下を歩いて行くのを確かめて、被り物を外してゾア様にお返しした。
 失礼かもしれないが視線は上げないで、彼の素顔は見ないようにする。

「………ありがとうございました。」

 そしてゾア様が被り物をしっかり装備されたのを気配で確認してから、私は顔を上げてお礼を述べた。
 ゾア様はやはり調子を変えずに、表情は変えているのかは知らないが結局私からは見てとることもできなかったので、つまるところいつもの調子で答えるだけだった。
「気にするな。」
 どことなく、一方的に会話を打ち切られているような感覚。それに私は戸惑い、二の句を告げなくなる。

 けれどもゾア様は良い人だった。そんな私を察してくれたのか、ここで私に話しかけてくださった。
「カーシュには、特別、知られたくないのだろうと思ったから。」
「あっ、はい、そうなんです!」
 それが嬉しかったので、私はここぞとばかりにその言葉に食らいつく。少し過剰なまでに頷いて声を出した。

「…性別が知られたら、カーシュ様に嫌われてしまいそうで、怖いんです……」
「オレには、それがいまいち理解できないのだが。」
「そうかもしれません。私の杞憂なのかもしれません。でも私は、カーシュ様の中にある、ひとりの下級兵の像を壊したくはないんです。」
「難しいものなのだな。」
「…………。」

 ゾア様は以降は何も仰らなかった。私はなぜかは分からないが罪悪感で胸をいっぱいにして、ただその場に立ち尽くす。
 そして私は口を開いた。

「あっ、あの、ゾア様――…」
「なんだ?」
 突然の私の開口にも、さして驚いた様子もないゾア様の態度。
「…このことは、どなたにも話さないでください。」
「それは構わん。…だが、これからどうするのだ?」
 逆に返された問いに、私は重く首を振る。ただ、それだけしか私にはできなかった。
「………分かりません。兜はマルチェラ様に壊されてしまいました。これからどうやって顔を隠せばいいのか…」
「それなら、良い案がある。」
「え――……?」


 そのとき船が揺れた。そう、私は今、船に乗っているのだ。
 何かはよくは知れないが、歌と踊りを主として舞台を行っている集団、マジカル・ドリーマーズの乗る船に。








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