「ええ、私はテルミナから来たの。こちらの村長である……いえ、元アカシア龍騎士団四天王である、ラディウス殿に用事があってね。
 彼はまだ出かけていらっしゃるのかしら。」
「そうですね……今は村には居ないみたいです。もうしばらく待ってもらえますか?」
「もちろん、いつまででも。あなた方の許す限り待ちますわ。」

 優雅にそうは言ったものの、私はこらえきれなくなってついには小さく笑ってしまった。その様子を目の前にして、セルジュはばつの悪そうな表情になる。
 そんな彼の周りには、アルニ村の子供達が集まっていた。セルジュにいちゃんー、とか、セルジュー、とか、様々な呼び声がばらばらに重なって聞こえる。

「あ、あの、ほんとすみません……。こら、お前達、お客さんが来てるんだぞ!」
 セルジュは何とか苦笑いを作って私にそう言う。そしてその直後にはすぐきりりとした表情になり、子供達をあまり厳しくなく叱り付けるものだから、私の笑みはさらに深くなってしまった。
「いいの、気にしないで。むしろこちらこそ、ごめんなさい。きっとみんな、私みたいなよその町の人が来たから、珍しいんだと思うの。」
「それはあるかもしれません。ここはあまり人の出入りが盛んではないし……。」

 しばらく、たわいもない会話をする。私は村長に用事があってこの村を訪れた者であり、セルジュはちょうどその場に居合わせた村人である。私達の間には、子供達を挟んでのどかな空気が流れ、それが自然と、初対面だというのに会話を弾ませた。
 たわいもない、その形容がどこまでも当てはまるのどかでのんきな話題が挙がることもあった。今、村ではコドモ大トカゲのウロコで作るネックレスがはやっていて、セルジュはそれを幼馴染の少女に頼まれ浜まで取りに行き、大トカゲの母親を相手に大立ち回りを演じたのだとか。つい最近のことである。

「村長……じゃなくて、騎士団の元四天王に用がある、って言いましたね。もしかして、テルミナで何かあったんですか?」
 突然なされたセルジュのその悪気は何らないだろう質問に、私は答えることを若干ためらう。けれどもそれは結局は「若干」止まりで、私はすぐに自然に答えた。
「いいえ、テルミナは今日もいつもどおりよ。何もないわ。……何かがあったのは、私だったかもしれない。」
「え……?」
 不自然なフレーズを会話の中に差し込んだのにも、セルジュは何一つ文句を言わずに付き合ってくれる。私は続けた。
「少しね、思うところに変化があったのよ。今まではそんなこと、きっと無意識に考えることを避けていたのに。もしかしたら私にも戦うことができるかもしれない、と思って…。」
 話しながら、セルジュが疑問を顔に浮かべたのが目に入ったので、私は改めてまとめた。
「私にはなすべきことがあって、そために、ラディウス殿に助力をお願いしに今日は来たの。」
「ああ……、確かに、村長は強いですからね……。ボクもぜんぜん勝てません。」
 そうするとセルジュはどこかで納得したように頷き、そう言う。最後に交えられるのは苦笑。私も笑った。
「それは、そうよ。だって彼は、蛇骨大佐らと共に戦った英雄ですもの。私なんかでは歯が立たない。そんな彼に直接指導して頂けるあなたが羨ましいわ。」
「なら、機会があったら、さんも村長に頼めばいいと思います。きっと快諾してくれますよ。」
「そうかしら。」
 そういうものかしら……。私は今日私がここに来た本来の理由を思い浮かべて、そちらの依頼はそう簡単には受け入れてはもらえないだろう、そう思って憂いを抱いた。


 子供達も交えつつ、私は村長が帰ってくるまでのときを楽しく過ごす。とある少年が「村長が帰ってきたよー!」と大声を張り上げたのは、それなりには長い時間が経過してからだった。
 けれども、私には全く「待った」という感覚がなかった。それはきっと、私をもてなしてくれた人達との時間がとても楽しかったからだろう。

 少年が何事かを話しながら、背筋をしゃんと伸ばした細身の老人、ラディウス殿が屋内に連れて来る。私は立ち上がってそれを迎えて頭を下げた。
「お邪魔しております、ラディウス殿。と申します。」
「おお、これは……テルミナの者か。」
「はい。……お話したいことがあり、今日は参りました。して…」
 私は大変申し訳ないことを言おうとして、その間際に視線を周囲に巡らせる。子供達が視界の中を滑っていって、最後に、セルジュが。彼はそれだけで何かを察してくれたようだった。
 そしてそれはラディウス殿も同様である。
「ほら、おまえ達、下がっていなさい。わしは今からこの方と大切な話をするのだ。」
 返事は、子供達の連帯感たっぷりの「えー!」という不満の声の集合。ラディウス様が続けて強く言おうとしたところで、セルジュがラディウス殿を支援した。
「みんな、ここに居たらおねえさんにも村長にも迷惑だから、外に出てボクと遊ぼう。」
 尚も不満の声をあげる子供達だったが、セルジュに背中を押されて村長宅を出て行った。
 とたんに空間は静まり返り、その場には私とラディウス殿のみが残される。


「…あの、ラディウス殿…」
 何とかして私が口を開いたところで、ラディウス様の制止が入る。伸ばされた手は、椅子へ。そして、座りなさい、という優しい言葉が続く。
 私はご厚意に甘えてまずは椅子に座った。ラディウス殿も向かいのそれに腰掛けるのを確認してから、今度こそ私は話し始めた。

「私はテルミナを、パレポリ軍から解放するつもりでいます。お力をお貸しください!」
 率直に、まずは結論から、私は言った。ラディウス様は表情を変えずに私を見ておられた。
「……突然のことで、大変戸惑われることでしょう。私はこの3年間、ずっと現実から目を背けてきました。けれども決心しました、敵と戦い、かつてのテルミナの町を取り戻すと。
 そのためには私の力だけでは足りません。アカシア龍騎士団元四天王ラディウス殿、あなたの力が必要なのです!」
 私は机に手をついて、座ったままで頭を下げた。机の面に額がぶつかりそうな程に。
 ラディウス殿はしばらくは無言でいたが、やがて、静かにこう言った。

「協力はできん、と言ったら?」
「!」
 私は即座に下げていた頭を上げた。信じられない、その一心でラディウス殿を見つめる。
 確かにこれは無理のある依頼ではあった。実に3年間ものあいだ、テルミナはパレポリ監視下で成り立ってきたのだ、たとえそれが民の意に背くものであるとしても。
 しかし私には、なぜかどうしてか、心のどこかで、「ラディウス殿ならば協力してくださる」と、信ずるところがあったのだ。私はたった今その思い込みに気付いた。
 確かにこれは無理のある依頼なのだ。3年の時を今更覆すということは、大層難儀な仕事である。
 それでも私は信じていたのだ。ラディウス殿ならば、きっと協力してくださるだろうと。

「なぜですかッ?」
 私は「失礼」という言葉をこのときだけは忘れて、ラディウス殿に問い詰めるということをしていた。ラディウス殿はそれでも答えてくださった。
「それはぬしが一番分かっているであろう。ぬしの為そうとしていることが、どれだけ無謀なことなのか。なぜわしがぬしの頼みを断ろうと言うのか。すべてはぬしの予想どおりじゃ。」
「…………。」
 私はすぐに力をなくして引き下がった。彼が断るに足る理由は、たった今私が頭の中で組み立て切ってしまった。それが私を敗退させる。
 私は勢いを失ってしまった。しかし、幸か不幸か、私には「意地」が残されていた。

「……十分、承知しております。私が何を為そうとしているのか、それもよく存じております。しかし、それでも!私はテルミナを救いたい。かつての人々の笑顔を取り戻したい。私はもう、あのように廃れてしまったテルミナなど、見ていられない――。」
 言いながら頭に浮かぶのは、白のきれいなテルミナの町並み。パレポリ軍の跋扈する現在の情景。そこにはあるべきものがない。
 町を巡回するのはパレポリ軍ではなく龍騎士でなければならない。その巡回の目的は民の監視ではなく町の平和を守ることだ。
 そして町をてっぺんから見下ろすのはあのわけのわからない像ではなくて、蛇骨様の像でなければならない。蛇骨様はいつだって私達の町を見守ってくださっていた。
 そ情景を描けば描く程、私の心は悲しみに塗り潰されていく。しかしそれはかつてのような冷たい、ただ寂然にその場に存在しているだけの悲しみでなくて、身も燃え上がってしまうような激しい悲しみであり、それこそが今の私を戦いへと駆り立てるのだ。

 私は尚も懇願する。お願いですラディウス様、どうか、わたくしと共に――。
 だがそれでも返ってきたのはただ残酷な事実だけだった。
「……無理じゃ。ぬしの気持ちはよく分かる、わしとてあのテルミナを見ているのはつらい――。」
「ならばなぜ!?」
「わしらは無力じゃ、きっとわしらが思っている以上にな。
 …そもそも、敵はあのパレポリの軍。わしら個人の力でできることには限りがある。」
「私達だけではありません。私はザッパ殿にもお話を致しました。」
「ザッパに――?」
 ここで初めてラディウス殿の表情が変わったように思われた。私ははいと頷いて説明を開始する。

「こちらを訪れる前に。ザッパ殿は仰りました、私達が本当にテルミナを救うために立ち上がり、そしてパレポリと戦うことができるのであれば――力を貸す、と。
 人手が足りないのは私もそう思います。ですから私は、龍騎士団元四天王のあなた方に助力を要請し、他にも戦う意志のある人々を集めようと思っているのです。
 見たところ、このアルニ村の人々はあなたから戦闘訓練を受けている様子。もしかしたら、彼らも十分な戦力になりうるのでは、と――」
「だめじゃ、だめじゃ!」
「…………。」
 少々興奮気味に解説していた私はラディウス様の怒声に言葉を止められた。穏やかな老人の、きっと彼にすれば珍しいであろう怒鳴り声。私はそれに驚き、また、尚も彼が私の意見を受け入れないという事実にわずかばかりの反感を抱き、もちろんそれと同時に落胆も覚えたから、言葉を止める他なかった。

「今のぬしは負の感情に身を任せておる。それでどうしてテルミナを解放することができようか。」
「ですから、私はあなた様に助力を――…」
 今度は怒声はなかった。ただそこにあるのは、沈黙のみ。
 だがその沈黙は怒声以上に私に対する圧力を所有していた。私はその無言の力に負けて言葉を失い、沈黙し、どこか気まずい思いで視線を下げる。
 ラディウス殿の沈黙こそが、私に対する意見の本質を語っている気がした。


 私には、テルミナを救うことができない。


 様々な紆余曲折を経て最終的にはそこに私の落胆は収束し、私は絶望する。
 私にはもはや、何を言うこともできなかった。私にはテルミナを、愛する町を救うことができない。
 私は慌てて立ち上がってラディウス殿に頭を下げると、挨拶もそこそこに村長宅を飛び出した。

 広場を過ぎる際、追いかけっこをして遊ぶ人々が視界を過ぎる。その中には、セルジュの姿も。
 確かに私の目と彼の目は合って視線が交錯したが、何を言うでもなく私は走り去った。


さん!」








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