さん!」
 声がかかると同時に、手を取られる。私はとっさに振り返った。セルジュだ。
 私はなぜ彼がここに居るのかを即座に察し、彼の真っ直ぐな瞳に負けてしまいそうになりながらも、彼を見た。
「セルジュ……」

さん、どうかしたんですか?いきなり飛び出したりして。」
 そうは尋ねながらも、事の情を少しだけ知っている彼は、私の行動の理由を察しているのだろう。だからこそ、こうして村を飛び出した私を追いかけてきてくれたのだろう。
「そ、そうね…」
 私は私で、心配げに私を覗き込むセルジュを前に、私のしてしまった非常識な行動を振り返る。訪問したのは私だというのに、依頼が受け入れられなかったからといって、挨拶もせずに飛び出して来てしまった。
 私はラディウス殿に大変失礼なことをしてしまった。

「私はラディウス殿に大変失礼なことをしてしまった。帰って、きちんと謝罪しないと…」
 うわごとのように呟く私は、やはり、気が動転してしまっているのだろう。ここにきてセルジュに対してまでも失礼な行為を重ねている。
 セルジュは村を突然飛び出した私を心配して、一緒に遊んでいた子供達を置いてまで追いかけて来てくれたのだ。
さん!」
「!」
 歩き出そうとしていたところを、セルジュによって手を引かれて止まる。私は再度彼の姿を視界に入れた。
 まだ会って間もない他人のことを、こんなにも気にかけてくれる人がいる。
 セルジュは言った。

さん……。村長とのやり取りでいったい何があったのか、ボクには分かりません。でも、あなたにはやりたいことがあって、それで村長を訪ねてきたんでしょう?
 あなたは強い人だ。こんなところで引き下がって終わりにしてしまうわけがない。あなたはそんな自分自身を許せるはずがない。
 謝りに行くのではなくて、もう一度村長と話をしませんか?」

 私は信じられない気持ちでセルジュを見た。どうしてこの人は、こんなにも、私のことを的確に言い当ててくるのだ?彼はいったい私の何を知っているというのだ?
 的確に言い当てられるはずも、彼が私を知っているはずもない。なぜなら私とセルジュは完全に初対面であるからだ。
 でも、まるで私の心を解析するようなことを言われたというのに、どうしてか、私の心にまるで不快感はなかった。ただ彼の気遣いが温かい。

「……けれど、ラディウス殿は、私では駄目だと仰ったわ。はっきりと言葉にはなさらなかったけれど、私では駄目だと。私では力不足だと。だからテルミナを救うのに協力はできないと!」
 けれども今の私の心を満たすのは、自分自身に対する恥ずかしさ、罪悪感、そして絶望である。私は力不足である。何もかもが、足りない。
 セルジュは冷静さを欠いてみっともなく話す私に、あくまでも落ち着いた様子で、語りかける。
「…でも、村長だって、テルミナを思う気持ちは同様のはず。ボクは知っています。北の方……テルミナがある方を、村長がしきりに眺めていることを。かつての思い出話、蛇骨大佐やザッパさん、ガライさんと一緒に戦場を駆けた頃の話をするとき、村長が本当に懐かしそうに遠くを見ていることを。
 村長がどうして、騎士団を退役した今も剣を取り、ボク達に戦う術を教えているのか。それは村長自身が戦うことを忘れていないからに他なりません。」
「でも!」
 セルジュの切実な語りを私はそのたった二文字で遮った。話すことをためらったがために私はもう一度「でも」と繰り返し、首を左右に振って、ついにその言葉を口にする。

「私がテルミナを救おうとするのは負の感情からだ。そんな私ではテルミナを救うことなどできるはずがない、と――ラディウス殿は仰ったわ。
 そんな私が、たとえ四天王の方を集め、たくさんの人の協力を得て戦ったとして、テルミナを解放することができるわけがない。そもそも、こんな私には誰も協力なんてしてくれないんだわ――。」

「確かに、今のさんは負の感情で動いているのかもしれません。」
 表面がぼろぼろに擦り切れてしまった私の心は、セルジュのその言葉によってさらに退廃に向けて加速させられる。
 加速させられたのだけど、セルジュが私の手を両手で包み込むようにして取って、真っ直ぐに私の目を見て語りかけてくるものだから、擦り切れた表面なんてすぐに癒されてしまうのだった。

「でも村長は、あなたのテルミナを救おうとする行動そのものを否定してはいません。ボクはそう思います。
 村に戻って、もう一度村長と話し合いましょう。あなたに足りないもの、村長が必要としているもの、それを知らないことには始まりません。…もしかしたら、あなたと村長は意見を違えてそれで終わってしまうかもしれない。でも、そうしたら、今度は飛び出さずにもっと語りかければいい。さんだって、あなたのお願い事が簡単に受け入れてもらえるようなものじゃないってことは、最初から分かっていたんでしょう?だったらもっと強気になって、村長に言い寄らないと!
 ボクはあなたに協力します。テルミナを救う手伝いを、ボクにもさせてください!」

 私はセルジュの長い言葉を聞き終えるや否や、反射的に彼の手をこちらからも握り返して、握り締めて、それに向かって頭を下げた。胸を感謝の気持ちでいっぱいにして。
 ありがとうありがとうと私は何度も言ったけれど、必死な声は掠れてしまって、彼にちゃんと聞こえていたかは自信がない。








 しかし私はやはり、重い気持ちでアルニ村に再度足を踏み入れた。今度はセルジュも一緒である。
 村人の疑惑の視線はある程度は仕方がない。私は村の入り口に佇む男性に軽く頭を下げて村の中を歩いた。
 そして村長宅に向かうために、途中の広場に入ったところで、
「おねーちゃーん!!」
 一人の少年がこちらに手を振っているのが目に入った。彼は日に焼けた腕をこれでもかとばかりに力強く振る、というよりは振り回すようにして、こちらに熱烈なアピールをしている。
 私はセルジュと目を見合わせた。そうしているうちに彼はこちらに走り寄ってくる。
 その後ろには何人もの、他の村の子供達も。そしてその中にとある姿を見つけて、私達は仰天した。

「村長!?」
「ラディウス殿!?」

 子供に無理に引っ張られるようにして、ラディウス村長が広場を越えて私達のもとへやって来る。それはさながら連行されているようだった。
 セルジュが呆れたようにその子供を戒めるが、彼は誇らしげに胸を張って、こう言ったのだった。

「おねーちゃんにひどいこと言う村長は、ぼくたちがこらしめておいた!」

「そんなに掴まんでも、別に逃げんわい!」
 ラディウス殿は子供の手を振り払って晴れて自由の身になるが、やはり逃げはしない。その場に背筋を伸ばして立って私を見た。
 私は意識を構えて彼に対面する。ラディウス殿は言った。
「子供達に怒られてしまったよ。ぬしの頼み事をちゃんと聞き入れてやれ!とな。」
「…は、はい……」
 私はとにかく相槌を打った。あまりそこに意味は伴っていないけれど。
「わしには、ぬしの頼みをそのまま聞くつもりはないが――…」
 ラディウス殿がそこまで言ったところで、隣に立っていた少年が彼の脛に蹴りを入れる。けれどもさすがはアカシア龍騎士団元四天王、その程度のことでは動じもしない。

「ぬしのその志には報いたいと思っておる。わしとて、あのままテルミナを見過ごすことはできん。」
 私は何か私の心に誕生したものがこみ上げてくるのをこらえるために、思わず口元を手で覆った。セルジュが私の隣で意図は知れないが笑って、私を横から小突く。なんだかそれが嬉しかった。

「わしにも、テルミナの今後に対するわしなりの考えがあったのじゃ。それを今から話し合わんか?」

 何か私の心に誕生したもの、は、きっと感動とか、感激とか、そういう類のものだろう。私はこみ上げて溢れてしまいそうになるそれらから逃げるようにして、ラディウス殿の言葉を噛み締めて、何度も何度も頷いた。








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