「おまえは、花の女王なんだったな。」
 食事中、たとえどんな些細な内容にしろ、男から女王に話しかけると彼女は実に嬉しそうな反応をする。今だってそうだ、女王は碧の目をきらきらと輝かせて、「はい、そうなんです!」と、大きく頷いた。
「花の女王ってのが、具体的にどんなもんかは知らねえが…」
 言いながら、男は飲み物を一口飲む。木を削って作られた器を机に置く。
「それはなんだ、国民とも言える植物たちを、こんなふうに利用するタチの悪いもんなのかい。」
 女王はぱちぱちと目を瞬き、一拍置いてから返事をした。
「ごめんなさい。もう少し、具体的に説明していただけますか?」
「ほっときゃそのへんに生えてるもんを、おまえはむしって食べ物にしたり、治療の道具にしたりする。それが女王のすることかって聞いてんだ。」
 率直に言えば、男は女王の困る様を見たかった。人形遊びを楽しむ小さな子供よろしくこの「王国」で女王ごっこをしているこの聖女を、無理難題をふっかけて答えに詰まらせてやりたかったのだ。
 女王は常に、一定の速度、一定のリズムで喋る。それはけして彼女の態度が恒常的であるなどと言っているのではなく、たとえるなら空の変化に同様だ。朝はこれ、昼はこれ、夜はこれ、とそれぞれの時間帯に色が用意されていて、決まった時間に決まった色があてがわれる、そういうことである。
 たとえどんなに彼女が心や表情を動かしたとして、彼女の生活が常にひとつの決まり事で動いているのと同様に、世界が変わらず夜の後に朝を迎えるように、表情に貼り付けられたほほえみは、本質的には何ら変化しないのだ。
 それを見るのが男は嫌いだった。きれいな碧の瞳を見ていればかならずそれが目についた。しばらくはそれから目をそらしていた男だったが、じきに無理がやってきた。だからこそ彼は、それを見ないふりをするのではなく、それをどうにかしようとしているのだった、無意識的に。
 女王は男の言葉をゆっくりとだが咀嚼していた。そして次に口を開くまでにさして時間はかからなかった。
 女王はまっすぐ男を見て言った。
「あなたの言っている意味が分かりました。」
「おう。それなら、どう言い訳してくれるんだ。」
「言い訳はしません。」
 男は出鼻をくじかれた気分になった。女王は彼の思っていたよりもうんと平坦に話す。
「言い訳はしませんわ。確かに、私は花の女王と名乗りながら、国民である植物たちを道具として用いている。それは一国の王にあるまじき、許されざる行為ですね。」
 そしてここで、まるで絵にでも描いたかのように美しく、わずかに女王の眉が下がって表情が悲しみに似た感情を浮かべた。聖女は世の不条理を憂え、なおかつそれを正面から受け止めて、きれいな声で話した。
「まだ出会って間もないあなたにこんなことを言うのは気が引けますが、私は花の女王ではありますが、人です。花ではありません。そして民は花、草、すべての植物たちです。人ではありません。
 両者のあいだには隔たりがあります。それは私たち人間にはとても覆せないような、この世界が始まってから終わるときまでけして変わらないようなものです。」
「だからって、こいつらは、」
 男はひとまず女王の言葉の意味せんところを汲み取って、言葉を使って反撃した。「こいつらは」の部分で、食卓の上の食べさしの料理を示す。
「こいつらは生きてるんだろう。俺たちみたいに呼吸をしてる。おまえのしてるのは生きてるこいつらを殺すのと同じだ。」
 いかにも殺しを最悪だと見なしそうな聖女に向かい、男はその文句を突きつけた。
 女王は碧の目で何度か瞬き、その目で男を見て、口を開いた。そこから発せられたのは果たして問いであった。
「あなたには花弁はありますか?」
 それは答えを待たないものである。続けざまに女王は問いを重ねた。
「あなたには茎はありますか?」
「あなたには葉はありますか?」
「あなたには根はありますか?」
 なおも答えを待たずに、もとより男にはその問いに答えるだけの機転もなかったのだが、女王は言葉を続けた。
「髪は花弁ではない。胴は茎ではない。手は葉ではない。脚は根ではない。
 私たちは声に出して話すことができるし、表情を変えることも、涙することもできる。私たちは自由に走り回れます。朝起きて夜寝ます。それでは、花は、植物たちは?
 あなたは、土に根を張り太陽光と水だけで生きていますか? 違いますね。
 そういうことです。私たちの常識で彼らを計ることがまちがっているの。」
 女王の言葉は続く。
「私たちがされていやなことを、彼らも同様に感じるとは限らない。
 あなたは、その場をじっと動かず、雨の降るのを待ち、日光に身体を浸し、時には人や獣に踏まれ、つまれ、ゆくゆくは枯れて終わる生で、満足できますか。」
「…………。」
 女王の双眸は強く男を見据えていた。男は、本来ならばただの少女のものであるそれからつい逃れるように、視線を傾けて手元を見た。その行為をごまかすために一度食事に手をつけて、飲み物を口にして、そのすがらに言った。
「じゃあおまえは、どうして花の女王なんてやってんだ。まるで異なる存在に王なんてやられて、『国民』もさぞ迷惑してるだろうに。」
「どうしてでしょう。私には分かりませんが、結果として私は『花の女王』です。私が女王です。」
 これを境に、食事の再開を口実にして男が黙り込んだことにより、会話は中断された。
 黙々と食べる。しかし言葉を話す手段を持つのは男だけではなかったから、今度は女王のほうから話を始め、会話は再開された。
 女王は何か小動物にでも話しかけるかのように(実際にそのような場面を見たことはなかったが、どうしてかそのように男には感じられた)言った。
「女王はね、民を食べ物として、治療道具として使うとき、彼らに尋ねるの。私は今からあなたを使うけれど、いいかしら? って。」
 しばらく男が言葉を返さないでいると、女王も言葉を続けなかった。彼は仕方なく、彼女に言葉で尋ねた。
「……すると、なんて返ってくるんだ。」
「分かりません。私には、植物の言葉はさっぱり分からないから。ううん、そもそも、言語は人のもの。植物がそれを使って意志を伝えるのかどうかすら定かではない。」
「なんだ、それ。結局ただの自己満足じゃねえか。」
「そうですね。そうかもしれません。」
 女王は小さく笑った。彼女の背筋はぴんと伸びており、いかにもどこぞの女王のようである。女王は笑顔をささやかなものに変えて男に向けた。
「でも、よければ、あなたも彼らに尋ねてみて。国民としてこの国をどう思っているかって。きっとあなたにも分かることがあると思うわ。」
「…………。」
「あなたにも、私にも、彼らの言葉は分からないけれど。でも、あなたの言うとおり、私たちはみんな生きているから。言葉とか、そういうことじゃなくて。きっと分かると思うわ。」
 男はフォークで瑞々しい緑の葉っぱを刺した。かつては日の光を浴びて光合成でもしていたのだろう、要するに生きていたのだろう葉だ。それが今やただの葉に成り下がり、男の口に入るときを待つばかりである。彼はすぐにそれを口に入れた。
 女王は男のものに比べてよほど量の少ない食事を前に、そんな男の挙動をじっと見つめていた。彼がその事実に気付くまでに、女王の表情は楽しそうな笑顔にすっかり塗り変えられていた。
「…何だよ。」
 このようなこと、女王が食事をする男を楽しそうに見つめていること、はしばしばあったが、それをあえて問うということは今回が初めてであった。すると女王は見るからに嬉しそうな色を表情に加えて、こう答えたのだった。
「たくさん話せて、嬉しいの。」
 男の尋ねたこととその答えはどことなくずれているような気がしたが、彼はあえてそこに突っ込むということはしなかった。
 女王はそんな男の気持ちなど露知らず、にこやかに話す。
「私と彼らはずっと異なる存在だけれど、あなたと私は同じ人間。言葉で気持ちを伝え合うことができる。国の在り方について尋ねてくれて、ありがとう! あなたとたくさん話せて嬉しいわ!」
 思えば男も、こうして他人とゆっくり話をするのは久しぶりのことであるかもしれなかった。いつ話すかどう話すかばかりが重要で、ただその場の空洞を埋めるためだけに口を開いて閉じて開いていたからだ。
 彼は目の前に咲いた笑顔を少しだけ見た。時間はこんなにもゆっくりと流れるのに、空洞は空洞以上に埋められた気がした。


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