わたしは捨て子だ。
 両親がわたしを育てることを放棄し、およそ10年ほど生きていたわたしをミュロンド寺院に捨てたことは記憶に新しい。
 一般的に、貧困子沢山時代の流れで育児を放棄する親が子供を捨てるのはオーボンヌ修道院である。歴史と伝統の深い修道院は、昔から、そこに捨てられた子に神の慈悲を与え、育てることをしていた。
 しかしその詳細はわたしは知らない。なぜならわたしが捨てられたのは、オーボンヌ修道院ではなく、グレバドス教の総本山、ミュロンド寺院だったからである。
 両親から育児を放棄されるまで、わたしはたくさんの彼らの愛を身に受けて生活してきた。ああ、大切なわたしたちのこども。ちゃんと大きくなって、北天騎士団の白魔道士になるのよ。たくさんの愛情をもっておまえを育ててやる。ちゃんと大きくなるんだぞ。
 しかし幼いながらにわたしが得た知識では、彼らの中では、わたしは「ちゃんと大きく」なっていなかったようであった。当時、わたしの身体は同じ年代の子らの平均以上に成長していたというのに、彼らにはどうにも、わたしがいつまで経ってもまるで幼児のように話し振舞うことが気に食わなかったらしい。
 それは彼らがわたしを捨てるに至った要因のひとつである。そしてもうひとつある。
 世間一般から見れば突出しているでもない、しかし当時のわたしの年齢と経験から比較すれば他に類を見ない、そう、代々北天騎士団に白魔道士を輩出してきた魔道の名門、グラウス家でもかつて存在し得なかった、魔力の大きさと魔法の知識と魔道への欲求がそれであったはずだ。


 よって彼らは、私をミュロンド寺院に捨てた。そこでなら、当時魔に魅せられていたわたしを救うことができる、とでも考えていたのか。わたしは知らない。それ以上の心情の暴露はわたしが聞くことはなかったからである。
 わたしが寺院の正面玄関に座り込んでいたとき、わたしの身体をまだとてもその大きさには合わない白魔道士のローブが包んでいたのは、おそらく彼らに残された親としての最後の良心の表れだったのだろう。
 ミュロンドで生活を始めてからほんの少しの間でわたしの身体の成長は止まってしまったが、今ではそのローブの裾も短く詰められ、わたしの身体に合うようになっている。魔道の名門の作ったローブとあってか、抗魔性はそれなりには高い。
 わたしは玄関前で、わたしを寺院の人間が見つけるまで、数時間程、地面に魔方陣を描いたりしながら座り込んでいた。それがどれだけの時間であったかは、興味のないことであるから明確にはしない。わたしを見つけた人物が誰であるかも同様である。
 教会の人間にわたしが話した事情に同情してか、それともわたしの持っていた魔力のためか、わたしはミュロンド寺院に養われることとなった。そのときには様々な困難に出会った記憶があるが、現にわたしは今こうして無事に騎士団員として戦うことができている。
 結果としてわたしは魔道の名門グラウス家ではなくミュロンド寺院で育ち、グラウス家の跡取りとしてではなく教会の人間として北天騎士団に派遣された。
 これがわたしの生い立ちである。


 わたしには知り合いというものが一切いなかった。当然である。決してわたしの故郷はミュロンドの近くではなかったし、ミュロンド寺院にいるような知人はいなかったのだから。
 いわゆる親の愛というものを一身に受けてきたわたしは、魔法というものが大好きであった。それはかつてわたしという人間の一番近くにいた人間である両親が魔道士であったことも、彼らが人を救う姿を好いていたことも、自身もそのような存在になりたいと思っていたことも、本能的な感性も、わたしにとっての全てが理由であった。そしてだからこそ、わたしが魔法を大好きでいるのに理由はいらなかった。
 寺院で生活を始めてすぐ、白魔道士のローブを着ていたわたしは白魔法を覚えさせられそうになった。しかしその必要はなかった。幼い頃より両親の姿を見て育ってきたわたしはそのときには既に知られている限りの白魔法は習得していたからだ。
 すると教会の人間はわたしにありとあらゆる魔法を教えさせることを始めた。しかしそれは上手くいかなかった。わたしはそれよりも先に寺院にある魔道書の虜になり、自ら魔法を身につけるということをしていたからだ。
 黒魔法、時魔法、召喚魔法、一般に知られているものは全て、すぐに覚えた。一般に知られていないものは少し時間がかかったが、覚えた。召喚魔法は全て習得したが、しかしわたしの呼びかけに応える召喚獣はいなかった。しかし呼びかけることはできた。「召喚魔法」はわたしの技能としてわたしの身に吸収されはしたのである。
 独自の音律で言葉を紡ぎ、意識を集中させてその名を告げる。炎は叫び、雷撃は唸り、氷塊は歌った。
 聖なる光は、天空に轟く間際、わたしにほほえんでいた。
 大好きな魔法を学ぶ課程で、わたしは数式により魔法と同等の効果を発動させる「算術」の存在も知った。興味はあったので身につけた。そしてその過程で、わたしは魔法に似て否なる算術というものが大嫌いになった。便利なものを追い求め続けた人類の浅はかさを感じこそすれ、その中に魅力を一切感じなかったからだ。魔法の全てはわたしを魅了した。けれども、「算術」はそうではなかった。それだけのことであった。
 両親はわたしに無償の愛を注いだ。しかしわたしにはそれが理解できなかった。無償の愛など、頭の悪い単細胞生物の持つ気持ちでしかないはずである。無条件で人を愛することなど、知性を持つ人間にあっていいはずがない。
 わたしは彼らに「無償で愛されていた」からこそ、愛というものが理解できなかった。
 わたしに理解できたのは魔法であった。幼い頃よりわたしの傍にいて、人を救って、守って、傷つけて、輝いてきた光。私の呼びかけに応えるのは魔法であった。
 魔法はどんな呼びかけにも応えていた。魔力の低い者、高い者、音感のある者、ない者。悪事をはたらいてきた者、善事をはたらいてきた者。
 それはまるで「死」と同じように、全ての人に平等に存在している。魔法を効率良く駆使するためには少々の知識が必要ではあったが、しかし必要不可欠なのはそんなものではなかった。
 だからわたしは魔法が大好きであった。昔も、今も、そしてこれからも。





「…ねーえ、弓使い君……。」
「……何?」
「ひとつだけ、頼んでも、いい…?」
 静かに目を開けてすぐ、ベッドに身体を横にするクィンは、かろうじて赤く色づいてきた頬と荒い息をそのままに、傍らに座るウィリーに声をかける。
 その額の上の氷袋には、もう水しか残っていなかった。
「もちろんさ。何でも言いなよ。」
 快くウィリーが頷いたのを見て、クィンも自覚はなしに表情を和らげる。
「あのね、氷を入れ替えてくれたらね、……ずっと、見つめててほしいの…」
 不健康に赤かった頬が健康的に赤くなる。赤い目は苦しそうにではなく恥ずかしそうに細められて、小さな白い手は何かを求めてさまよった。
「……なんだ、そんなことでいいのか?僕はてっきり何を要求されるかと…」
 驚き呆れてウィリーはクィンを見る。そしていつものクィンに接するように言葉を続けようとして、途中で切った。
「だめ?」
 クィンはとても言いづらそうに声を出す。ウィリーはゆっくりと首を振って、そして小さな冷たい手を握った。
「すぐに戻ってくるから、待ってろよ。」
 しっかりとその手を両手で包み込んで、しっかりとクィンの赤い目を見つめてから、ウィリーは立ち上がる。クィンの額の上で確かな重みがなくなり、ウィリーが部屋を立ち去って、扉がばたんと閉まって、部屋にひとりぼっちになった。
「…………。」
 クィンは嬉しい気持ちで目を閉じて、大好きな彼と大好きな瞳が戻って来るのを待った。









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