【起】


 ウィリーは絶句した。
 その眼下には、きらきらと輝く、半透明な、まるでガラスのようなものの破片。たぶんガラスではない。比べものにならないほど、珍しいものだ。
 しばらく分厚い本を片手に固まって、その「しばらく」が終わってから、ウィリーはようやっと何かに弾かれたように床に膝をついて、破片を片付けることを始める。おそらく火炎魔法の力が封じ込められているのであろう、赤に色づいた魔石の一部は、たぎるような熱をもって、熱い。
 「しばらく」は長すぎたのだろうか。前触れなく部屋の扉が開いて、入って来たこの部屋の主とウィリーと、視線がばっちり衝突してしまった。
「クィンっ!」
 反射的に、破片に触れていた両手を後ろにまわす。
 全く生活観の漂わない部屋にあるものに惹かれて、様々な魔道具を見て、つい触ってしまっていたことが、とにかく後ろめたかった。おそらく、この部屋の主である彼女は、クィンは、自身の所有物を他人に勝手に見られることを嫌っているだろうから。最初、ウィリーを部屋に入れることすらためらった程だ。
 それでも自分を信用して部屋に入れてくれたクィンを裏切ってしまった。彼女の所有物を駄目にしてしまったこともそうだったが、ウィリーはその裏切り行為がとても申し訳なかった。
「魔石……」
「……ごめん…」
 薄い赤の純粋な瞳を見ていられない。クィンは吸い寄せられるように絨毯の敷かれた床に膝をついて、辺りに散らばる破片のうちのひとつを指で挟む。持ち上げたそれを部屋の光に透かして自身の赤と重ねて、見る。
「…熱い……」
 魔石はまだ熱をもっていた。クィンの手指は薄くとも断熱性の高い生地で守られているから、熱のせいでウィリーのようにやけどを負ってしまうこともないだろう。
 だが、そんな安心はどうでもいい。ウィリーはとにかくいたたまれなくて、クィンの反応を待つこともできなくなった。
「…あの、ごめんな、本当に……。わざとじゃないんだ、わざとじゃ…」
 クィンの目が伏せられる。
 ウィリーは言葉を誤ったと思った。違う、意図的であるかどうかは結果には関係がない。
「……ごめん…」
 ウィリーにはただ謝ることしかできなかった。そんな自分がとても情けない。
 すると、不意にクィンが目を上げた。丸い大きな瞳がウィリーをじっと見つめる。
 そしてそれは、ウィリーの返事も待たずに怒りの炎を宿した。
 小さな身体が立ち上がる。
「弓使い君のばーかっ!!」
 ローブの裾が翻って、少々乱暴な足音を立てて、クィンは部屋を出て行ってしまった。ウィリーをひとり、残して。
「…………。」










【承】


「お前、いったい彼女に何したんだよ…」
 シーフの青年が、どこか、おそらく廊下を曲がった向こうの角だろう、そこを示して言う。ウィリーには直接は見えない場所だ。おそらく、今話した本人にも見えていない。
「…彼女って、誰ですか?」
「彼女って、誰だ?」
 質問に「質問」で返ってくる。ウィリーはすぐにその意図を察して、少々ぶっきらぼうに「悪い」とだけ言った。
「…彼女って誰?」
 再度、今度は語尾の「ですか」を消して尋ねる。するとシーフの青年、同じ隊に所属するカーティスは表情をほんの少しだけ綻ばせて、意外にも丁寧に答えてくれた。
「うちのちびっこ魔道士だよ。」
「………」
 すぐに思い当たる節にぶつかったから、黙る。言葉を失う。
「さっきからずーっとドス黒い気配で睨んでやがる。いったい何したんだ?返答によっちゃこの俺が…」
「い、いや、その…」
 どうにも話しづらい相手からどうにも話しづらい内容で話しかけられる。これはどうにも辛いことだ。ウィリーは言葉を濁した。
「…………少しだけ…」
「少しだと?」
 カーティスの言葉の語尾が上がる。何だか嫌な感じだ。
 カーティスは腰に手を当てて、わざわざ彼に比べて背の低いウィリーの顔を覗き込むようにして、話す。
「お前の言う“少し”がどの程度かは知らねぇが、クィンは“少し”の程度のことで、あんなに腹を立てるようなタマか?…もうちっと考えてみやがれ。」
「…!」
 真剣な瞳が見つめてくる。ウィリーははっとした。
 そしてそんなウィリーを見て満足したのかどうかは判らないが、カーティスはウィリーから顔を離した。
「…ごめん、ありがとう。」
 ウィリーはカーティスに言う。敬語は使わない。
 さすがは“女性好き”、単に変態的に女性に声をかけているだけではなくて、それなりには彼女らのことを考え、気を遣っているようだ。少なくとも今回は助かった。
「女性を泣かすんじゃねーぞー。あ、あと、燃やされないように注意な。」
 廊下を曲がった角の向こうに向かって走り出すウィリーに二言。ウィリーはほんの少し振り返って、片手を上げて応えた。










【転】


「クィン!」
 驚いた。本当にそこに居た。
 何か敵を警戒するかのような瞳に半ば怖気づきながらも、ウィリーはなるべく相手を逆上させないように声をかけながら、クィンに近づく。
「…なによ。」
「あの、その、……本当に、ごめん!」
 そして触れるまで後2、3歩、といったところで、ウィリーは腰を90度に折って頭を下げた。
「なにに対して?」
 意外にも今度は即座に返事がくる。
「きみの魔石を割っちゃったこと。部屋のものを勝手に触っちゃったこと。」
 即座に答える。
「………やっぱりわかってない………」
 え、と、ウィリーは思わず顔を上げた。そこには、悲しそうに歪められた赤い色。
「…………。」
「…………。」
 しばらく無言の時間が過ぎる。
「……えっと…」
「…でも、気持ちはなんとなく伝わったから、教えてあげる。」
「え、」
 戸惑うウィリーにはお構いなしにクィンの話、もとい動作は続けられる。気付いたら右手を取られていて、手袋を外されている。魔石に最初に触れたとき、拾い集めていたときにできたやけどがまだ残っていた。
「いたそう……」
「べ、別に、こんなの自業自得だし……」
「波動に揺れる大気、その風の腕で、傷つける命を癒せ。ケアルジャ。」
 戸惑う間に呪文は完成する。高位の白魔道士ですら習得の困難な回復魔法の光が、ウィリーの手のちっぽけなやけどの周りで煌いて、傷を跡形も無く消し去ってから消えた。
「…………。」
「……大丈夫?弓使い君。」
 まごうことなき白魔道士の瞳が見上げてくる。ウィリーの手を包むふたつの小さな手は、温かい。
 ああ、そうだったのか。ウィリーはやっと気が付いた。
 クィンは白魔道士だから。たとえ全ての魔法を使いこなして、ウィリーの知らない魔法さえも身につけていたって、その身にまとう白のローブが証明するように、彼女の心は白魔道士を忘れていないから。
 クィンは気付いていたのだ。ウィリーの手にやけどがあることに。そして、ウィリーがそれを隠したことに。
「…ごめんな、クィン。」
「それは、なにに対して?」
「全部!――お前の大切なものを壊しちゃったことも、お前に心配かけちゃったことも。全部。」
「別にいいよ。だって、すぐに治せるから。」
「…そっか、そうだよな。治してくれて、ありがとう、クィン。」










【結】


「…カーティス、…は、そのこと、判ってて僕に言ってくれたんだ?」
 いつもの弓術の訓練の後。ウィリーとカーティスは昼食を共にしていた。騒がしい食堂のとあるテーブルを挟んでいる。
 喧騒の中、カーティスはさらりと答えた。
「いや、全く。」
「えぇっ!?」
 様子を変えずにカーティスは続ける。
「あったりめーだろ。俺はお前と彼女との間に何があったかなんて、知らねーんだぞ。それで事の事情が判るかよ。」
「……ま、まあ、確かに…」
 しかし、ザルバッグ隊のシーフと魔道士、カーティスとクィンは見た限りではいつも行動を共にしていて、とても仲が良さそうで、さらにクィンのほうはカーティスのことを「相棒」などと称していたから、てっきりそんな感じで何もかもお見通しなのだと思っていたのだ。
「俺は全能じゃねーんだから。どっかの副隊長さんと違って。」
「ははは……」








「でも、ま。」
「……ん?」
 カーティスがぽつりと漏らした。
「俺はやっぱりどこまでも女性の味方だし、一応、あいつとは“相棒”って奴らしいからな……。なんとなく勘付くところはあるのよ。」
「……そうか……そっか…」
 その言葉を聞いて、ウィリーは何だか嬉しくなってしまった。相棒。とても素敵な響きだ。かつて自分が憧れていた“ザルバッグ隊”は、近づいてみたらどこか理想とかけ離れていたところもあったけれど、隊長はもちろん、隊員もやっぱりとても素晴らしい人たちだ。
「…ありがとな、カーティス。」
 単に同年代の人間に接するように、ウィリーは話す。
「僕は女性じゃないのに、僕の味方になってくれて。お前に言われなかったら、僕はクィンと仲直りできてたかどうか……」
「ヤローに言われたって嬉かねーよ。」
「う、」
 ぐさり。即答が突き刺さる。
「…まー、何だ。仲間だから、当然の行いってヤツ?俺は基本的に仲間想いな人間だし、いい加減、弓使い君が隊になじめなくても困るしなー。」
「そっ、そのあだ名で呼ばないでください!」
「お、また敬語が戻ってきてるぞ。それは禁止だって言っただろ、弓使い君。」
「…――そっ、そのあだ名で、呼ぶなっ!!」




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