「よー、元気してたか、隊長。」
 呼びかける。返事はない。
 カーティスは綺麗に形の作られた石の前、人工的にではなく、頻繁な人の来訪により出来上がったスペースに座った。直接腰を降ろして、石と目線を合わせた。

「アイツラは、どいつもこいつも、“馬鹿みてーに元気”だぜ。」
 語りかけながら(やはり返事はない)、石から目を外して、腰を降ろした周囲に広げた、酒の瓶と2つの猪口のうちから、瓶を手にとって封を切る。
 1つの猪口に瓶の中身をなみなみと注いで、石の前に置いた。少しだけ、石からは距離をとって。女性の前に何かを差し出すときには、遠すぎず近すぎず、ちょうどいい距離がある。

 猪口とは、異国で酒を飲むときに用いる、異国の器だった。陶器性で、上が広がり下のすぼまった独特の形状をしている。
 今回持ってきた酒も、普段カーティスらが口にする畏国製のものではなくて、鴎国から取り寄せたものだった。
 畏国の貿易も、市場も、格段に向上していた。正体も知れぬよその国から品物を仕入れ、流通させるくらいには。
 それは、直接的なシステムの変化ではなく、人民の感覚の変化によるところが大きい。

「ま、遠慮せずに飲めよ。アンタのことだ、どーせどこに行っても行かなくても、娯楽には満足手出ししてねーんだろ?こういうときくらい、肩肘張るなって。」
 せっかく来てやったんだからな。日をあまり空けずに頻繁に使うこのフレーズは、いい加減に使い古されてきた。


 カーティスは目の前の石を見て、中身の減らない猪口を見て、ただただ広い空を見て、そして語り始める。ぽつり、ぽつりと、語り始める。
「……副隊長なー、」
 上空へ向けられていた深緑色の瞳が、まっすぐに下を見る。
「最近、あのヤローと一緒に居ることが多くなったんだよ。獅子戦争が終わった後、しばらくしてからな。五十年も獅子も、戦時は……うん、本当に存在してるのかも怪しいくらいの婚約者だったから、今は、かろうじて存在してるって感じだ。副隊長自身も、以前より自分に優しくするようになって、休んでるときが増えた。婚約者と会ってるのは、その一貫なんだろうな。
 もちろん、言うまでもないことだが、普段のやるべきことだかなんだかは全部しっかりこなした上で、だ。それに、休んでるときが増えたって言っても、以前に比較して、ってだけ。それに戦争が終わって、今まで以上に家のことも考えなきゃならないから、……大変な人だよ、全く。
 ま、アンタもそうだったんだけどな。今になって、尚更、アンタのそのへんの大変さが伝わってきた気がするよ。ホントに情けない話だよなあ……。アンタはそーいうこと、ぜんっぜん俺達には気付かれないようにしてたから。ヤローの真意なんか汲み取るのは、俺もごめんだったしな。
 とりあえず、今は少しでも、そっちでゆっくりしてくれ。テコでもアンタはゆっくりしないもんだから……どれだけシェルディが気苦労してたか、わかってるか?」

「やー、アンタの場合は、結局わかれてないとは思うんだけどな。でもなんとなく察してはいただろ?気苦労云々だけじゃなくても、さ。
 ……アンタとあいつの間に何があったか、俺には多分一生わからねーんだろうけど、でも、アンタには少しはわかってたんだといいなって、俺は思うよ。女性が悲しむのを見るのは辛いんだ。
 まーシェルディも、俺がわざわざ心配してやれるほど、弱い女性じゃないんだけどな。強くやってるよ、相変わらず。口うるさいのも変わらない。
 そうだ、そうそう、知ってるか?何と、あいつ、事務仕事を手伝うようになったんだ。今ならカンタンな計算くらいならできる。はは、驚きだろ。計算といったら、どれだけの敵がいてどれだけ倒せば何人になるかってのと、家計くらいでしかやってこなかったあいつがだ。頭が腐るーとか言ってるけどな。
 自分も甘ったれたことも言ってられないし、今はひとりいないから、自分にできることをできるだけやるんじゃなくて、自分にできないことをできるようにするんだとさ。
 安心しろよ。無茶しそうになったら、ちゃんと俺が止めてやるから。…それに、アンタにもあいつにも悪いが、悲しみだってちゃんと受け止めてやる。」

「無茶しきりなのはウィリーだな。全くあいつだけは見てられねーよ。俺にはヤローを手伝う趣味はねえし……。そもそも、ほら、あいつの口癖、『これは僕のやるべきことだから!』とか言って、周りの言葉をいっさい受け付けないのよ。…………いったい、誰に似たんだか。
 皮肉なことにも、それが安心できる理由でもあるんだけどな。一時期、あっただろ?色々。そのときのあいつの様子を見ちゃってると、ああ、今は大丈夫なんだなーって思わされるんだよ。どこまでも危なっかしいアンタとは大違いだ。
 …………。……もちろん、今とアンタが居た頃じゃ、状況なんて、がらりと変わってるんだが。
 …………。……だいじょうぶさ、ウィリーはアンタにはならない。あいつはあいつのままだ。良い意味でも悪い意味でも。ぜったいに、アンタを不安にはさせない。
 あいつはよくやってくれてるよ。本当にな。きっとみんな、あいつの姿に元気付けられてるんだと思う。そしてそんなあいつを元気づけてるのは、ザルバッグ隊長、アンタの存在なんだ。」

「クィンはもう、相変わらずとしか言いようがないな。あの頃一番やかましかったのはあいつだが、今になっても、変わらず居るよ。俺やウィリー、シェルディやエバンナのことが大好きなんだと。アンタのことが大好きなんだと。
 俺が思うに、たいちょが大好き!のセリフを聞かなかった日は、今のところ一度としてないはずだ。なんと、いがみ合ってた頃から数えてもだ。驚きだろ?
 で、あいつはまた変な研究を始めちまった。どうやってたいちょを連れ戻すか、って題らしい。人が聞いたら笑っちまうようなもんだよなあ。もちろん、俺もだ。全く馬鹿らしくて、笑えてくら。
 俺だけじゃ止められねーよ。ウィリーは黙って見守ってる。アンタもまた、あいつを怒ってやってくれよ。それでしかあいつは止まらない。アンタにならあいつを止められる。……安全の保障はしねーが。
 あいつの理論がどこまで通じるんだか……。…いくら筋道立てて論理的に思考したって、駄目なもんは駄目なんだ。駄目だって、俺だって俺なりに、“理解”してるはずなんだけどな……」


 声が揺らぐ。内側から小さく力を加えられて、それだけでもう形を保っていられなくなったように、震える。
 長い長い尾を引きずって、声は風に消えた。

 深緑が、無機質な石を見つめて、数秒。

「……なんでいなくなっちまったんだよ。」

 目が伏せられる。誰にも、そう、目の前の石にさえも見られないように。力なく垂れ下がる手が大地を掻いて、握って、何も掴まない。


「なんでいなくなっちまったんだよ。なあ、隊長。ザルバッグ隊長。
 みんな、辛いんだよ。悲しいんだよ。あいつら、本当に気の良いヤツだっただろ?一緒に居て楽しかっただろ?なんで置いてっちまうんだよ。アンタだって辛いじゃねーかよ。
 アンタは死んでいい人間じゃなかった。北天騎士団を率いることができるのはアンタだけだ。アンタじゃなきゃ駄目なんだ。あいつらが、あいつらだけじゃない、ラムザだって、今までに会った全員、会ったことのない全員、アンタを待ってるんだ。
 それに、」


 肩が震える。大き過ぎる呼吸の音がする。カーティスが話す。
 無機質な石の塊、人々が戦士の墓標と呼ぶものに向かって。


「俺が辛いんだ。悲しいんだ。アンタに戻って来てほしいんだ。
 なあ、俺を叱れるのはアンタだけだよ。俺を本気で叱ってくれたのはアンタが初めてだったって言っただろ。また、叱ってくれよ。バカヤロウって言ってくれよ。間男って言ってくれてもいい。なあ、頼むよ、ザルバッグ隊長………」


 呼ぶ声を最後に、言葉が消える。
 空気が流れる。自然のままに。そこには何の意図もない。

 カーティスは顔を上げて、再度、石の塊を見た。そのすぐ前には、自分自身が供えた花やら酒やらが置いてある。少し目線を下げれば視界の中心に入る。
 視界の中心に入れて、黙ってそれらを見つめて、なぜだか無性に腹が立ってきたような気がしたので、カーティスはそれらを石に叩き付けた。

 陶器が粉々に砕け散り、花びらが石を飾る。
 その様子を見て、なんとなく満足してきたような気がしたので、カーティスは立ち上がって天に向かって笑い声をあげた。

「ハハハハッ!いーザマじゃねえか、ザルバッグ隊長!
 天下の北天騎士団団長サマ、五十年戦争の英雄サマ、獅子戦争の正義の徒サマが聞いて呆れるぜ!今じゃ俺みてーな身分もないひとりの男に弄ばれる身!
 おら、もっと花びらほしいだろ?いくらでも飾り付けてやるぜ!」

 そして次には気分が高揚してきたような気がしたので、カーティスは石の前に座り込み、花束から散った花びらを拾い集め、石の上から散らし始める。灰色に色とりどりの模様が描かれる。

「うーん、中々の色男だ。そうだよ、アンタはぜんぜん身だしなみに気を遣わなかったからいけねえ。このカーティスが不本意だが、アンタをもっと男前にしてやる!」

 当然返事をするはずもない石に向かって、カーティスはいかにも楽しそうに話しかける。花びらを全部石の上に乗せて、そしてそれだけでは飽き足らず、瓶に残っていた酒を全部、墓石の上からぶちまけた。

 アルコールの匂いが広がる。透明な液体が花びらを濡らし石を濡らし、染みとなって浸透する。
 その行為はカーティスにやはり満足感のようなものをもたらしたが、しかし同時に“飽き”をも与えたようであった。

「あーあ。俺の飲む分がなくなっちまった。」

 そう言って、もう一滴の滴も降ってはこない瓶の口をつまらなそうに見つめる。
 そして透明度のある瓶の向こうに、彼は墓石を見た。少々歪んだ姿が彼の目に映る。


 そして、カーティスは笑った。その笑みは、たとえば彼が多くの女性に向けるようなものとも、仲間達に向けるようなものとも、違う。

「……また来るな、ザルバッグ隊長。
 言っとくけど俺は、ヤローに会いに来るのも、ただの石ころの掃除するのも、趣味じゃないんだからな。」








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