暑い。違う、熱い。
木々のこずえに遮られ弱まっているはずの日光が、露出した肩を、腕を、突き刺す。色の濃い頭髪は見事に熱を吸収し、うだるような熱気を頭を包むように提供してくれていた。
まったく、熱い。
少しでも熱を放出しようと、木の幹に身体を預けたまま、両手両足を草地に投げ出す。しかしこれではまるで彼らに心を許しているみたいでそれが気に食わなかったから、大切な右腕だけは頭を守るようにして、彼らの姿を見ないように視界を塞いだ。
この暑さをより不快なものにしてくれているのは、ほんの少し離れた空間から聞こえる声たちだ。こんな状況下であるというのに、ばかみたいに騒いでいる。それが、気に障る。
塞ぐのは視界ではなく耳にしたほうがよかったかもしれない。だが暑さにくたびれながら耳を塞ぐなんて、そんなばかみたいな真似はしたくなかったからしなかった。守らなければならないのは、自身の身体の健康もそうだが何よりも、自身の心の壁だ。こればかりを崩してはならない、なんとしても。
どうせ一度はくたばりかけたこの命だ、この暑さの中で倒れてしまっても構わない。せいぜい彼らに迷惑をかけることにしてやろう。
そんなことを考えながらもやはりシェルディが暑さにくたびれていると、彼女を包むように存在していた熱気の中に、一点、冷気が現れた。
まるでこちらを癒そうとでもしてくるかのような冷たさは、彼女の心を守る腕に触れて止まっている。
冷たい。
シェルディは視界を塞いでいたものを取り払って彼を見た。ザルバッグだ。その背中の向こうには、やはり騒ぐ彼の部下たちの姿がある。
「何?」
「受け取れ。」
「何これ。」
「魔道士の冷気魔法で作り出した結晶だ。オレには原理はよくわからんが、冷たい。冷やすといい。」
「いらないわ。」
「受け取れ。」
「いらない。」
シェルディは自らに押し付けられていた冷たさを取り払って、引き寄せた膝に顔を埋めた。しっかりと両手で肩を抱き込んで、とにかく拒絶の意を示す。
「ここで倒れられでもしたら困るんだ。受け取れ。」
「いいじゃない別に。私はあなたたち……あなたに進んで尽くしているわけじゃない。ここで倒れてもいいわ、せいぜい迷惑かけてやる。」
「子供のようなことを言うな。それがおまえの覚悟だったのか?」
「あなたは私を見捨てはしないんでしょう。倒れても叩き起こすんでしょう。だからそれでいいわ。
子供のよう?それで結構。何とでも言ってちょうだい。私はあなたなんかに否定されはしないから。」
声のトーンを落として、重く言い切る。人に、よりにもよって彼に覚悟を否定されるなど、されていいことではない。
「…………。」
ザルバッグはついに呆れたように言葉を止めた。同時に溜息のようなものをついたのを、思わず顔を上げて彼の姿を見つめてしまったシェルディは見逃さなかった。
ここで彼女は、突然、まるで悪いことをしてしまったような気持ちになる。彼の呆れの表情がつんと胸を突き刺して、痛みを与える。鼻の奥が熱くなる。彼を見ているとどうしようもなくつらくなる。
違う、違うのだ。私の覚悟は、彼の下で戦うと決めた意志は、そんな子供じみたものではなかったはずだ。子供じみているのはほんの、私のとある一部だ。
シェルディは首を振る。しかしかといって目に見えて態度を裏返すことなど彼女にできるはずもなく、少しだけ声量をひそめて、ごめんなさい、と言って手を伸ばすだけだった。
その手の平に、布切れで包まれた、まるで輝くクリスタルのような結晶が載せられる。ずし、と重みが加わる。
それは冷たかったはずだった。シェルディはそれを握り込んだ。
「……やっぱり、私には必要ないわ。返す。」
「なぜだ?」
ザルバッグは不審そうに眉をひそめた。
「冷たくないもの。こんなもの私が持っていたって、ただのがらくたにしかならないわ。他の人に渡してあげて。」
「ばかな、あの鬼魔道士の魔法だぞ。そんな短時間で効果が切れるはずがないし、信仰心の如何に左右されて冷たさが消えるはずがない。」
ザルバッグがシェルディの手から結晶を奪い取って、彼女の手の中の重みは消え去る。冷たさの跡も残らない。
彼は二、三度結晶を持った手を握って開いて感触を確かめるようにして、やはり不審そうな表情は変えないままでシェルディを見た。
「どうしてだ?」
「私、そういうの、だめなのよ。魔法のおもちゃとか、そういうやつ。」
シェルディは顔を上げてザルバッグを見た。そういえば現在は彼の存在が自分に濃い陰を落としてくれていたから、少しだけ涼しかった。
「昔ね、私の父親が、」
そこでザルバッグの表情がふとしかめられる。それは単なるシェルディの勘違いか、それとも彼は彼女の父親を思っているのか、はたまた彼は彼自身の行いを振り返っているのか、どのみちシェルディには判らなかった。
「私の誕生日に、魔法の力で炎の出る、おもちゃを買ってきてくれたことがあったのよ。わざわざえたいの知れない店まで行って、そこで魔道士に頼んだんですって。
炎が何かの形を作るのを、自慢げに見せてくれてね。私も一緒にはしゃいだわ。でも、そのおもちゃが私の手に渡ったとたんに、全部消えちゃった。
もともと信仰心が低いのもあるでしょうけど、なにかが根本的にだめなのよ、私。……今はどうかはわからないけれど、でも、私のあなたたちに対する信頼を考えたら、効果を感じろっていうほうが無理な話よね。」
「…………。」
シェルディには魔法の原理だか理論だかなんだかはさっぱり解らなかったが、しかし、彼女には彼らを信頼する気が毛頭なかったから、その彼らのうちの一人の生み出した魔法が彼女にもたらさないことは、理解する間もなく明白である。
「だって私、あの子のこと、嫌いだもの。…それに、あなたも。」
「…………。」
ザルバッグは黙りこむ。シェルディは言葉を続ける。
「だから、その貴重な魔法は私にくれなくても結構よ。もっと大切にしてあげたい仲間のところに持って行ってあげて。
出発する時間になったら言ってね。……自分の責任は果たす。ちゃんとついて行くから。」
「…………。」
ザルバッグは手の中の結晶を見たりシェルディを見たりして、黙りこんでいた。シェルディにはもう続けるべき言葉はない。同じく黙って、そしてやはり木の幹に身体を預けて、こずえに切り取られた空を仰ごうとしたところで、
その額に冷たさが触れた。
「…………いらないって言ってるでしょ。」
じろりとザルバッグを睨む。額が冷たい。
「部下の体調を管理するのも上司の仕事だ。倒れられては困る。」
「だからって他の部下をほっとくことはないでしょ!私のことはいいの!」
「あいつらは自分で何とかするからいいんだ。」
「………うるさいわね。いい加減にして!」
冷たい結晶をはたいて結果的にザルバッグの手をはたいて、声を荒げたシェルディは彼をきつく睨みつけた。驚いたように目を丸くするザルバッグを、きつく睨みつけた。
「…………。」
「…………悪かった。」
続くかと思われた沈黙はすぐに終わってしまった。ザルバッグはそれだけ言うとシェルディに背中を向けて、それでも結晶はその場に置いて、いとも簡単に立ち去ってしまった。それまでの粘りなど、まるで最初から存在していなかったかのように。
シェルディはぽかんとその背中を見送る。そしてすぐに、かあっと頬が熱くなって、きっと赤くなってしまったのだろう、両手で押さえつけた。
まるで悪いことをしてしまったかのような気分になって、本当に申し訳なくなって、けれどもそれを解消する術など持たないシェルディはただその場に座り込んでいた。
部下を思って言葉をかけてくれていた彼に、つらい思いをさせてしまった。悲しい思いをさせてしまった。その思いだけが心を巡った。
熱い中にしばらく、何をできるでもなく座り込んで、恥ずかしさに胸を痛めていると、ふと、彼の残した結晶に目がいく。
シェルディは熱い頬から手を離して、それに手を伸ばした。掴んだ。両手で包み込んで、熱い頬にあてる。
「…つめたい……」
シェルディは目を閉じた。かつての父親との思い出と、そして今しがたの彼との出来事が、頭の中に浮かんだ。